『美学』 東京大学出版会
通巻144号(1986・春) 小口ヤケ

  ・『芸術と和解-序説』(村田誠一)
  ・『ジェラードの観念連合美学』(浜下昌宏)
  ・『詩作と哲学-プラトン<詩学>構築のために-」(加藤浩)
  ・『和歌における付託の意義』(尼ケ崎彬)
  ・『技術的所産としての映像と芸術』(吉積健)
  ・『フィレンツェ大聖堂カンパニーレ諸預言者像の一考察-ドナテルロの西側壁龕諸彫像を中心に-』(森雅彦)     

 ◎書評:今道友信『東洋の美学』(平田寛)

通巻145号(1986・夏) 小口ヤケ

  ・『1920年代におけるデザイン概念-機能と僧職の間-』(羽生清)
  ・『直感的判断力の問題-カントの批判的美学における-』(宇恵智子)
  ・『現代フランスにおける写真論の展開』(村山康男)
  ・『十六世紀の音楽観の一考察』(長尾義人)
  ・『スーラの技法』(米村典子)

 ◎書評:ロラン・モルチェ『独創性-啓蒙時代の新しい美的範疇-』(佐々木健一)

通巻146号(1986・秋) 小口ヤケ

  ・『美学の拠点(トポス)としての論理学-カントにおける等価と転移-』(金田千秋)
  ・『ミーメーシスの可能性ーリクールの主題による変奏-』(北村清彦)
  ・『描かれた三つの浴室の体験-感性の解析に向けて-』(増成隆士)
  ・『サルトルと想像力の問題』(北村知之)
  ・『高山樗牛と美の悲哀』(中村義一)
  ・『電子工学と二十世紀の音楽-「電子音楽」の諸問題-』(庄野進) 

 ◎書評:ゲルハルト・クレームリンク「カントにおける美学及び文化哲学の体系形成的役割』(長野順子)

通巻147号(1986・冬) 小口ヤケ

  ・『「芸術終焉論」再考』(福田達夫)
  ・『即自への美的アプローチ』(島本融)
  ・『音楽におけるエネルギ−-E・クルトの心理学的解釈-』(伊藤るみ子)
  ・『音楽の意味と聴き手-所有を視点に据えて-』(前川陽郁)

  ・『美学会第三十七回全国大会報告』
     「芸術と歴史」(郡定也)
     「イタリア・ルネサンスの寄木画の芸術としての成立-フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナの歴史的、芸術的な位置-』(佐野敬彦)
     「カントにおける美的判断の『演繹論』の意義」(長野順子)
     「1504年のデューラー-アダムとイヴ図の周辺-」(下村耕史)
     「高度消費社会におけるデザインの問題」(佐藤哲夫)
     「レヴィ=ストロースの芸術論から」(吉岡留美)
     「ニーチェにおける芸術の『形而上学』と『生理学』-『ディオニソス的』なるものをめぐって-」(大石昌史)
     「造形空間としての洞窟-フランコ=カンタブリア美術-」(小川勝) 
     「ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』における寓意像の問題」(斎藤美保子)
     「カンディンスキーの<コンポジションV>について-主題とモチーフの検討を中心にして-」(佐藤幸宏)
     「音と音楽」(大野洋)
     「16世紀の音楽理論における音とことばの関係」(大角欣矢)
     「アルス・ノヴァの多声法について」(網干毅)
     「柳澤淇園の画業について-人物画を中心に-」(橋爪節也)
     「西欧中世末期における死体の図像学-『三人の死者と三人の生者』の成立と展開-」(小池寿子)
     「18世紀ドイツの音楽思想について-"Empfindsamkeit"を中心として-」(久保田慶一)
     「制作を導くもの」(物部晃二)
     「批評の磁場へと-ロジェ・ド・ピールの絵画論-」(島本浣)
     「ジャック・デリダの隠喩論」(藤井麻利)
     「カンディンスキー作<四幅のパネル>(1814)の主題について-解釈の試み-」(西田秀穂)

 ◎書評:前川誠郎「デューラー二題」(勝國興)

通巻148号(1987・春) 小口ヤケ

  ・『美的判断と人間共同体の理念-カント美学における「普遍的な共感可能性」の問題-」(長野順子)
  ・『アリスンの「趣味論」-デザインの位置をめぐって-』(藤田治彦)
  ・『隠喩の神話-ジャック・デリダの"隠喩論"-』(藤井麻利)
  ・『東寺講堂諸象の成立について-図像とその彫刻化の問題-』(山名伸生)
  ・『ルーベンス「セネカの死」-古典受容の一様相-』(中村俊春)

 ◎書評:佐々木健一「作品の哲学」(新田博衞)
   :ダヴィッド・E・ウェルベリ「レッシングのラオコオン-理性の時代における記号論と美学」(小田部胤久)

通巻149号(1987・夏) 小口ヤケ

  ・『現代美術と<見る>こと』(尼ケ崎彬)
  ・『ロジェ・ド・ピールと十八世紀の美術評論』(島本浣)
  ・『作品の具体化とその展開』(伊藤美邦子)
  ・『セザンヌの「キューピッド像のある静物」-そのモティーフと象徴的意識-』(末永照和)
  ・『1504年のデューラー-アダムとイヴ図の周辺-」(下村耕史)
  ・『李唐山水画の特質-「万壑松風図」をめぐって-』(河野道房)

通巻150号(1987・秋) 小口ヤケ

  ・『手の詩学-芸術と技術-』(西村清和)
  ・『ニーチェにおける芸術の『形而上学』と『生理学』-「ディオニソス的」なるものをめぐって-」(大石昌史)
  ・『ジローラモ・メイ「古代旋法論」-バロック音楽様式の成立に対するその意味-』(津上英輔)
  ・『J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」に関する一考察』(樋口光治)
  ・『セザンヌにおける地の問題』(永井隆則)

 ◎書評:ハルトムート・シャイブレ「真理と主体-市民社会期の美学」(村田誠一)
   :チャールズ・ローゼン、アンリ・ゼルネル「ロマン主義とリアリズム」(村山康男)

通巻151号(1987・冬) 小口ヤケ

  ・『世紀転換期における芸術と歴史』(郡定也)
  ・『「音楽表現とメタファー」再説-現代芸術と人間の認識-』(渡辺裕)
  ・『リクール隠喩卯論における意味と指示』(巻田悦郎)
  ・『十七世紀オランダにおける静物画の成立について-ヴァニタスの理念を中心に-』(千速敏男)

  ・『美学会第三十八回全国大会報告』
     「美的価値について-R・インガルデンの所論に拠りつつ-」(武藤三千夫)
     「芸術体験における技術のありか」(木村護)
     「<音楽作品>の意味をめぐるTh.W.アドルノの理論」(龍村あや子)
     「シェンカー学説の基礎的概念に関する考察」(橋本斉)
     「ベルクソンにおける『直観』の概念」(瀧一郎)
     「芸術における共同体の問題-J.F.リオタールを中心に-」(小野康男)
     「アランの芸術論と想像力」(北村知之)
     「ギュスターブ・モローの<ヘロデ王の前で踊るサロメ>に見る『必須の豪奢』」(喜多崎親)
     「ブルネルレス建築における"antico"と"rinnovamento"-ディテールの比較分析を中心に-」(岡田温司)
     「ロマネスク聖堂の窓-西洋中世の聖なる光をめぐって-」(高野禎子)
     「マーラーによる『カロ風の葬送行進曲』-シュヴィントとE・T・A・ホフマンのつながり-」(高野茂)
     「シューマン『子供の情景』における音楽構造と言語表象」(岡田暁生)
     「日常生活世界の拡大の視点からみた現代音楽の日常化と非日常化」(住川鞆子)
     「芸術作品」(大森正一)
     「京都における明治期図案の成立」(宮島久雄)
     「中国初期石窟と観仏三昧-麦積山石窟を中心として-」(久野美樹)
     「海岸寺蔵『住吉浜花街図』屏風について」(岩間香)
     「俵屋宗達の造形思想-法橋宗達落款の金碧障屏画を中心に-」(村瀬博春)
     「レオナルドの『三博士礼拝』図に関する一、二の問題について」(片桐頼継)
     「チャンニーニの書はどう呼ばれるべきか」(辻茂)

 ◎書評:戸口幸策「音の波間で」(佐々木健一)

通巻152号(1988・春) 小口ヤケ

  ・『シュライエルマッヘルとドイツ・ロマン主義のイロニー』(山口和子)
  ・『芸術と空間-M・ハイデッガーに即して-』(小林信之)
  ・『文学における崇高の可能性-伝ロンギノス「崇高について」より-』(戸高和弘)
  ・『J・マッテゾンにおける言葉と音楽』(磯山雅)
  ・『レオナルド作「三博士礼拝」図の制作過程に関する試論』(片桐頼継)
  ・『アッシジ聖フランチェスコ寺下院の聖ニコラ礼拝堂のフレスコ装飾とジオット』(松原哲哉)

通巻154号(1988・秋) 小口ヤケ

  ・『クレーとハイデッガー-「死と火」の分析を中心として-』(大橋良介)
  ・『美的判断能力としての感覚の概念の淵源-アリストテレース「ニコマコス倫理学」1143a35-b5,1142a25-30-』(松尾大)
  ・『判定構造論の構造-カントの「判断力批判」-』(金田千秋)
  ・『「現象における自由」と「象徴としての美」-シラーにおけるカント美学の受容とその展開-』(大石昌史)
  ・『「牛」と建築モティーフ-フランク・マルクの後期作品に関する一試論-』(宮下誠)

 ◎書評:サリム・ケマール「カントと芸術-カントと芸術及び文化の哲学についての一試論」(長野順子)
   :ポール・ヒルズ「初期イタリア絵画における光」(大築勇喜嗣)

通巻155号(1988・冬) 小口ヤケ

  ・『絵を読む?-ゴンブリッチと美術の解釈学-』(加藤哲弘)
  ・『ベルクソンにおける「直観」の概念-ベルクソン美学研究-』(瀧一郎)
  ・『宗達における伝統と創造の一側面-静嘉堂文庫蔵「関屋澪標図屏風」を例にして-』(安田篤生)

  ・『美学会第三十九回全国大会報告』
     「中川重麗の美学」(金田民夫)
     「カント『美と崇高の感情に関する観察』における美と道徳性の問題」(松崎俊之)
     「ピクチャレスクの美学-ギルビン、プライス、ナイトを中心として-」(安西信一)
     「『映像による哲学』へ-その意義と可能性-」(増成隆士)
     「17世紀の復古運動-北宋山水画への回帰-」(吉田晴紀)
     「1929年の古賀春江」(杉本秀子)
     「国画創作協会と西欧近代絵画-小野竹喬を中心として-」(上薗四郎)
     「ロマネスク聖堂に刻まれた人頭について-西南フランスを中心に展開した人頭コーニス及び人頭アーキヴォルトの解釈をめぐって-」(常國マヤ)
     「17世紀オランダの食卓の静物画について」(千速敏男)
     「ファン・ゴッホ作『星月夜』その象徴的意味」(圀府寺司)
     「J・ハイドン器楽作品のジャンル区分について」(飯森豊水)
     「Energetikについて-和声論による力性概念の記述をめぐって-」(木村直弘)
     「音楽学と音楽理論」(角倉一朗)
     「芸術における『新しいもの』という概念について-G・ルカーチの初期著作を中心に-」(吉村健一)
     「アドルノ以後のアドルノ」(吉岡洋)
     「Sartre, "L'Idiot de la famille"研究序説-芸術創作への視座-」(森兼康文) 
     「N・ハルトマンの美学-芸術と生命世界-」(益田勇一)
     「ユーゲンシュティールの絵入芸術誌について-『パン』誌と近代工芸の関連を中心に-」(薮亨)
     「作者の誕生-そのアリバイをめぐる近世美学史-」(佐々木健一)
     「音楽作品の同一性の問題圏」(福田達夫)

 ◎書評:大西克禮「東洋的芸術精神」(佐竹大通)
    :スティーヴン・ハリウェル「アリストテレスの詩学」(当津武彦)
    :オットー・ペゲラー「芸術への問い-ヘーゲルからハイデガーまで-」(小林信之)

通巻156号(1989・春) 小口ヤケ

  ・『ディドロの肖像画論』(野口榮子)
  ・『カント『美と崇高の感情に関する観察』における美と道徳性の問題』(松崎俊之)
  ・『世阿弥伝書における無心-「花鏡」「拾玉得花」を中心として-』(筒井佐和子)
  ・『世紀転換期の「パン」誌と近代工芸』(薮亨)
  ・『16世紀の衣服にみられる装飾の変容』(佐藤理恵)

 ◎書評:アレッサンドロ・コンティ「ミケランジェロとフレスコ絵画-システィーナ礼拝堂天井壁画の技法と保存-」(岡田温司)
    :興善宏「中国の文学理論」(河野道房)

通巻157号(1989・夏) 小口ヤケ

  ・『19世紀ドイツの復古建築の様式-その歴史主義的相対性をめぐって-』(岡林洋)
  ・『メルロ=ポンティの内部存在論における芸術の位置』(森田亜紀)
  ・『ゴッホにおける太陽のモチーフ-対極的概念の提出とモチーフ研究-』(渡部葉子)
  ・『京都画壇近代化の一様相-美工から絵専へ-』(廣田孝)
  ・『第11回国際美学会議報告』(佐々木健一)

 ◎書評:木幡順三「求道芸術」(利光功)

通巻158号(1989・秋) 小口ヤケ

  ・『ジャック・マリタンの直観の美学』(上倉庸敬)
  ・『アドルノ美学における芸術の自律性』(井村彰)
  ・『アドルノ以後のアドルノ』(吉岡洋)
  ・『ピクチャレスクの美学-ギルビン、プライス、ナイトをめぐって-』(安西信一)
  ・『ハイデッガーにおける芸術と歴史』(関口浩)
  ・『雨宝院千手観音立像に就いて』(大宮康男)

通巻159号(1989・冬) 小口ヤケ

  ・『作者の誕生-そのアリバイをめぐる近世美学史-』(佐々木健一)
  ・『二種の絵画-ヘーゲルにおける芸術解釈の転換について-』(岩城見一)
  ・『ハンス・ホルバインと英国細密肖像画』(潮江宏三)
  ・『西南フランスのロマネスク聖堂に見られる人頭アーチ-聖堂に刻まれた人頭の解釈をめぐって』(常國マヤ)     

  ・『美学会第四十回全国大会報告』
     「宮廷人レオナルドについて」(久保尋二)
     「美的技術における自由の問題」(宇恵智子)
     「密教における観想と造形-青蓮院蔵・不動明王二童子像(青不動)を中心に-」(金子啓明)
     「クリステヴァにおける詩的言語の異質性」(成瀬克次)
     「喜劇の芸術的独自性について」(加藤貞史)
     「十八世紀ロシア恋愛冒険劇の性格」(永田靖)
     「『悲劇の快』をめぐるアポリア」(西村清和)
     「根津美術館蔵釈迦如来画像について」(吉村稔子)
     「ナンシー留学までの高島北海」(安井雄一郎)
     「竹久夢二の作風について」(堀修)
     「C・D・フリードリヒの『マンハイムのスケッチブック』-風景画の形式についての一試論-」(長谷川美子)
     「プッサンの<怪談の聖母子>-図像解釈のひとつの試み-」(清瀬みさを)
     「ピエロ・デッラ・フランチェスカの<ブレラの祭壇画>に関する一考察」(石鍋真澄)
     「芸術経験における『見る』ことの位相-デュフレンヌの『美的経験の現象学』の検討を通じて-」(鈴木真理子)
     「ヘーゲル美学における<他者>」(松井泰典)
     「音楽の存在-演奏のパラドクスをめぐって-」(永原恵三)
     「音楽作品の現象学的一考察-音楽作品の隠れの様態-」(宮内勝)
     「室町後期における絵画制作の場」(並木誠士)
     「造形作品における表意と含意」(渡辺眞)
     「美術における空間の問題」(河野石根)

 ◎書評:シルヴィア・ヒュアット「歌から本へ-古仏語抒情詩と抒情詩的物語における筆記の詩学」(前川久美子)

通巻160号(1990・春) 小口ヤケ

  ・『悲劇の快をめぐるアポリア』(西村清和)
  ・『オスカー・ベッカーによるロマン主義の再評価について』(伊東多佳子)
  ・『「声」と「音」がつくる儀礼-修験道儀礼の音空間-』(大内典)
  ・『中国の鑑賞論-絵画論を中心に-』(河野道房)
  ・『インド仏教絵画の成立-古代初期における仏教と絵画の関係-』(定金計次)
  ・『室町後期における絵画制作の場』(並木誠士)

通巻161号(1990・夏) 小口ヤケ

  ・『生の悲劇と芸術-シンメルの芸術哲学をめぐって-』(大森淳史)
  ・『モースブルク主祭壇の聖母子像-ラインベルガー儀式の成立をめぐって-』(岡部由紀子)
  ・『密教における観想と造形-青蓮院蔵・不動明王二童子像(青不動)を中心に-』(金子啓明)
  ・『十八世紀ロシアれ恋愛冒険劇の性格』(永田靖)

 ◎書評:小旗順三「美意識論 付・作品の解釈」(金田晋)
    :クリスティーネ・プリース編「崇高-限界経験と誇大妄想との間-」(村田誠一)
    :マンフレッド・フランク「初期ロマン派の美学への入門・講義」(小田部胤久)
    :太田喬夫・岩城見一・米澤有恒編「美・芸術・真理-ドイツの美学者たち-」(西村清和)

通巻162号(1990・秋) 小口ヤケ

  ・『再現と形成-バウムガルテン「省察」73-』(松尾大)
  ・『芸術解釈における作者の位置-コミュニケーション理論からのアプローチ-』(渡辺裕)
  ・『ニコラ・ブッサン作<怪談の聖母子>-図像解釈の試み-』(清瀬みさを)
  ・『クリステヴァにおける詩的言語の異質性』(或瀬克次)

 ◎書評:マイケル・H・ミティアス「経験を美的にするのは何か」(福田達夫)
    :ヴィルヘルム・パーペート「芸術美-イタリアルネサンスにおけるその起源-」(太田喬夫)
    :アニー・ベック「フランス近代美学の誕生」(島本浣)
    :アルバート・ボイム「うつろなるイコン-19世紀フランス彫刻の政治学-」(森雅彦)

通巻163号(1990・冬) 小口ヤケ

  ・『カルトーネ・プンテジャートとディゼーニョ(素描)の確立-十六世紀イタリア絵画史・展開の一側面-』(田中英道)
  ・『ソポクレスの「オイディプス王」についてのハイデッガーの解釈』(関口浩)
  ・『文芸作品の作用力と受容性-W・イーザーに拠りつつ-』(今村美邦子)
  ・『ブランクーシにおけるモチーフ展開の構造』(笹谷純雄)

  ・『美学会第四十一回全国大会報告』
     「ウィリアム・モリスにおける芸術と政治」(利光功)
     「18世紀イギリス美学における天才論」(浜下昌宏)
     「 康の<聲無哀榮論>-その論理的展開をめぐって-」(原正幸)
     「ヤン・ファン・アイクの『聖痕を受ける聖フランチェスコ』に関する一考察」(佐々木奈美子)
     「1887年の『二十人会』展におけるジョルジュ・スーラ-ベルギー新印象主義に関する考察-」(冨田章)
     「ジェームス・アンソール-素描<聖アントワヌの誘惑>の意図-」(龍野有子)
     「音楽・楽譜・作品」(前川陽郁)
     「新プラトン主義数論と音程比理論」(片山千佳子)
     「声楽ポリフォニーにおける旋法性格論の理論と実際」(美山良夫)
     「フルクサス-概念・行為・ものの乖離-」(庄野進)
     「注意と模倣ーベルクソン『笑い』の記述から-」(上村博)
     「S・K・ランガーの芸術象徴論-感情を象徴する形式について-」(沖野成紀)
     「身体の『構え』と芸術」(室井尚)
     「ティツィアーノの『聖アントニオの奇跡』連作(パドヴァ、スクオーラ・デル・サント)について」(池田亨)
     「ハンス・フォン・マレーの『友情画』について」(高阪一治)
     「キュビスmへの抵抗-1917年・18年の萬鉄五郎-」(中谷伸生)
     「六角紫水の工芸思想」(原田佳子)
     「芸術の交通論」(篠原資明)
     「詩作と言葉-M・ハイデガーに即して-」(小林信之)
     「演劇が詩であるということ」(山内登美雄)

 ◎書評:渡辺裕「聴衆の誕生-ポスト・モダン時代の音楽文化-」(津上英輔)

通巻164号(1991・春) 小口ヤケ

  ・『芸術の交通論』(篠原資明)
  ・『 康の<聲無哀榮論>-その論理的展開を巡って-』(原正幸)
  ・『文学作品の真-インガルデンの疑似判断説をめぐって-』(川上明孝)
  ・『カントにおえる趣味判断と芸術的自由について』(宇恵智子)
  ・『六角紫水の工芸思想』(原田佳子)
  ・『1887年の『二十人会』展におけるジョルジュ・スーラ-ベルギー新印象主義に関する考察-』(冨田章)     

 ◎書評:西村清和「遊びの現象学」(神林恒道)

通巻165号(1991・夏) 小口ヤケ

  ・『セイレーンとムーサー-詩と文化の図式-』(岡田三郎)
  ・『ミュートスとポイエーシス-プラトン<詩学>の可能性-』(加藤治)
  ・『判定構造論の射程-カントの「判断力批判」-』(金田千秋)
  ・『詩作と言葉-M・ハイデガーに即して-』(小林信之)
  ・『アンリ・マティスによるロザリオ礼拝堂-その装飾プログラムをめぐる試論-』(関直子)
  ・『金戒光明寺所蔵山越阿弥陀図と地獄極楽図屏風について』(加須屋誠)

 ◎書評:武田恒夫「日本絵画と歳時-景物画史論」(並木誠士)

通巻166号(1991・秋) 小口ヤケ

  ・『演劇が詩であるということ』(山内登美雄)
  ・『美的距離について』(鈴木真理子)
  ・『オーデブレヒトの美学-その超越論的構造の問題-』(高梨友宏)
  ・『音楽の一つの層といての楽譜-音楽の過程に関わる空間性を中心として-』(前川陽郁)
  ・『ジョットの構図法-変化とその意味-』(松原哲哉)
  ・『パウル・クレー「シュヴィッタースのためのC」いついて』(山下睦美)

 ◎書評:ジャンニ・ヴァッティモ「近代の終焉」(山口和子)

通巻167号(1991・冬) 小口ヤケ

  ・『比較類型学的方法としての「芸術精神」』(山本正男)
  ・『ベルクソンにおける美的知覚』(上村博)
  ・『パウル・クレー作<ガラスのファザード>(1940)の成立について』(伊藤羊子)

  ・『美学会第四十二回全国大会報告』
     「<das Tragische>をめぐって-ニーチェとアリストテレス-」(藤田一美)
     「プラトンにおける像とミーメーシス」(関村誠)
     「もう一つのイコノロジー-アビ・ヴァールブルクとイメージの解釈学-」(加藤哲弘)
     「絵画の受肉」(尼ケ崎彬)
     「カンディンスキーの『モスクワ』-<白い縁のある絵>(1913)について-」(西田秀穂)
     「オネットム美学-シュヴァリエ・ド・メレの bienseance を手がかりとして-」(椎原伸博)
     「原則論の展開-ヘルマン・コーヘンの美学-」(秋庭史典)
     「ジャック・ラカンにおける対象 a の論理と芸術」(高瀬博文)
     「古代エジプトの絵画の描かれた葬祭用亜麻布」(鈴木まどか)
     「銭寛墓出土の『官』字銘白磁について」(伊東徹夫)
     「想像力と表現法-青木繁<海の幸>の問題-」(植野健造)
     「ランプール兄弟の『地獄』図について」(栗山守正)
     「十七世紀オランダの美術理論についての一考察-schilderachtich について-」(千速敏男)
     「マネの<驚くニンフ>の意義について」(吉川知彦)
     「ヤン・ヴァン・アイクの胸壁ないし枠のモチーフについて」(岡部紘三)
     「文学ジャンルの概念」(森谷宇一)
     「書き手と主人公-『身体』を媒介として」(山懸煕)
     「写真家による日記或は自伝的試み-ソフィ・カル『尾行』に即して-」(村山康男)
     「様式論をめぐって」(諸川春樹)
     「かたちから解釈へ」(片桐頼継)
     「日本美術史学の形成史と現状批判」(田中日佐夫)
     「クレメント・グリーンバーグのフォーマリズム批判」(川田都樹子)
     「贈与としての芸術」(高木晴美)
     「ベーラ・バルトークの『形式』理解-作曲者自身による形式分析を中心に-」(伊東信宏)
     「芸術経験としてのスチュアート朝宮廷仮面劇」(松井明子)
     「パオロ・ヴェロネーゼ絵画における激情的特質」(加藤明子)

 ◎書評:圀府寺司「フィンセント・ファン・ゴッホ-キリスト教対自然-」(田中英道)

通巻168号(1992・春) 小口ヤケ

  ・『ロレンツォ・ギベルティの「第二のコムメンタリオ」-その歴史記述の性格-』(西山重徳)
  ・『プラトンにおける像とミーメーシス』(関村誠)
  ・『カタルシスと悲劇に固有の快-アリストテレス「詩学」より-』(渡辺浩司)
  ・『誰「産む」のか?-レオナルドとミケランジェロにおける創造性の理念について-』(吉川登)
  ・『十七世紀オランダの美術理論についての一考察-schilderachtich について-』(千速敏男)
  ・『六朝絵画に関する一考察-司馬金龍墓出土の漆画屏風をめぐって-』(古田真一)

 ◎書評:庄野進「聴取の詩学-J・ケージから、そしてJ・ケージへ」(谷村晃)

通巻169号(1992・夏) 小口ヤケ

  ・『オネットムの美学』(椎原伸博)
  ・『クレメント・グリーンバーグのフォーマリズム批判』(川田都樹子)
  ・『パオロ・ヴェロネーゼ絵画における劇場的特質』(加藤明子)
  ・『ジャック・カロ<大狩猟>-狩猟画と風景画-』(小鉢由紀隆)
  ・『揺れ動く指標-クレー芸術における"矢印"の問題をめぐって-』(池田祐子)
  ・『釈迦堂縁起の画面構成について-狩野元信研究-』(並木誠士)

 ◎書評:上原和「玉虫厨子-飛鳥・白鳳美術様式史論-」(平田寛)

通巻170号(1992・秋) 小口ヤケ

  ・『オーデブレヒトによるカント第三批判の解釈について』(大熊治生)
  ・『原則論の展開-ヘルマン・コーヘンの美学-』(秋庭史典)
  ・『もう一つのイコノロジー-アビ・ヴァールブルクとイメージの解釈学-』(加藤哲弘)
  ・『不在としての芸術-フーコーを巡って-』(小俣出美)
  ・『映画んいおける現実感の諸相-クリスチャン・メッツの映画論をめぐって-』(辻本宗正)
  ・『想像力と表現法-青木繁<海の幸>の問題-』(植野健造)

 ◎書評:小池三枝「服飾の表情」(杉野正)

通巻171号(1992・冬) 小口ヤケ

  ・『崇高の合意-カント崇高論の現代的意義-』(村田誠一)
  ・『階層的時間と拍節』(矢向正人)
  ・『ファイト・シュトース作「バンベルク祭壇」とニュルンベルク宗教改革』(元木幸一)
  ・『筆意を読む-臨書行為と書の特性-』(菅のり子)

  ・『美学会第四十三回全国大会報告』
     「タウテーゴリアとしての芸術」(奥津聖)
     「パウル・クレーとオストヴァルト」(前田富士男)
     「バウムガルテンにおける『美の規則』と現代美学の自己理解」(松尾大)
     「ミーメーシスの現代的意義-ディドロとシミュレーショニズムを繋ぐもの-」(青山昌文)
     「今また『芸術』とは何か-ドイツ観念論美学からの問い直し-」(神林恒道)
     「像と現実」(井面信行)
     「音楽美学の新しい方向」(國安洋)
     「<制度=芸術>批判と美学」(井村彰)
     「エマニュエル・レヴィナスにおける感受性と言語活動」(佐野陽子)
     「『述語的なもの』と芸術-メルロ=ポンティの後期思想から-」(森田亜紀)
     「O・ベッカーの被担性とハイデガーの自然の問題について」(伊東多佳子)
     「南朝の蓮華文様」(八木春生)
     「春日鹿曼茶羅の成立-陽明文庫本を中心に-」(行徳真一郎)
     「室町水墨画における画僧の位置づけ-その性格と役割-」(横田忠司)
     「探幽と逆さ富士」(永瀬恵子)
     「ドゥッチオ作『フランシスコ会士の聖母』の異時同図に関する一考察」(大築勇喜嗣)
     「ヴェネツィア絵画における眠れる幼児キリスト図の形成」(塚本博)
     「レオナルドの点と線の理論とスッフマート技法について」(中村隆夫)
     「ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの半身の祈念肖像画二連板について」(蜷川順子)
     「メディア映像と現代芸術」(吉積健)
     「『映像の時代』の不幸な逆説-知の体制について-」(増成隆士)
     「シューベルトと死の想念-死をテーマとした声楽曲を手がかりに-」(鵜川真)
     「独創としての編曲-ストラヴィンスキーの新古典主義の音楽美学-」(岡田暁生)
     「壁とテーブルについての一考察-マティス<赤いアトリエ>をめぐって-」(井上明彦)
     「シニフィエを伴わないシニフィアン」(島本融)
     「日本美術史における『様式』発展」(田中英道)

通巻172号(1993・春) 小口ヤケ

  ・『美的理念としてのあるがまま』(松久勝利)
  ・『ビザンティン写本挿絵におけるヨハネ福音書冒頭部分の絵画化』(益田朋幸)
  ・『スタルニーナと洗礼堂北扉期の絵画』(喜多村明星)
  ・『C・D・フリードリヒにおける岩と人物-「マンハイムのスケッチブック」を中心に-」(長谷川美子)
  ・『小出楢重作<帽子を冠れる肖像>について』(山野英嗣)

 ◎書評:トマス・グールド「詩と哲学の古来の対立」(加藤素明)
    :篠原資明「トランスエステティータ-芸術の交通論-」(村山康男)

通巻173号(1993・夏) 小口ヤケ

  ・『カントにおける美的判断と多元主義-「中立の観察者」との関連から-』(長野順子)
  ・『ランガーの芸術象徴論-作品と feeling との形式の類比について-』(沖野成紀)
  ・『ジャック・ラカンにおける対象 a の論理と芸術』(高瀬博文)
  ・『像と現実-M・イムダールの"イコニック"を検討として-』(井面信行)
  ・『ヴェネツィア絵画における眠れる幼児キリスト図の形成』(塚本博)
  ・『独創としての編曲-ストラヴィンスキー<プルチネルラ>の詩学-』(岡田暁生)

通巻174号(1993・秋) 小口ヤケ

  ・『芸術の価値原理-近世美学史の一断面-』(佐々木健一)
  ・『ディレッタントの形成、試論-ジュリオ・マンチーニを手掛かりに-』(岡田温司)
  ・『後期シェリングにおける芸術』(山口和子)
  ・『シラー美学の「実現」-「ヴァレンシュタイン」三部作における-』(山下純照)
  ・『若きヘーゲルにおける悲劇の問題』(小川真人)
  ・『羽人像を中心とする「漢代神仙世界図」考』(北村永)

 ◎書評:H・ペリー・チャップマン「レンブラントの自画像-十七世紀のアイデンティティにかんする研究-」(尾崎彰宏)

通巻175号(1993・冬) 小口ヤケ

  ・『ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの半身の祈念肖像画二連板について』(蜷川順子)
  ・『戦略としての批評?-1925年、パリ、ヴァヴァン-ラスバイユ画廊のパウル・クレー展とその周辺-』(宮下誠)
  ・『ノヴァーリスの「根源行為」』(加藤博子)
  ・『日本美術史における「様式」展開』(田中英道)

  ・『美学会第四十四回全国大会報告』
     「The Artworld -芸術の立脚点をめぐって-」(松久勝利)
     「美の陳腐化について」(利光功)
     「ベルクソンにおける無意識と芸術」(原田葉子)
     「ベルクソン的『直観』の本質」(高田忠典)
     「シモーヌ・ヴェイユの『声の美学』-秩序観照の美学のクリティックとして-」(柴田美々子)
     「上演とは何か-Reprentation から Performance へ-」(和嶋忠司)
     「風景画の成立-日本近代洋画の場合-」(松本誠一)
     「ジョットのアッシジ参加の問題」(野村幸弘)
     「聖ドミニクスの図像についての一考察-『祈り』のポーズをめぐって-」(田辺清子)
     「ボッロミーニの建築観-『オプス・アルキテクトニクム』をめぐって-」
     「世紀転換期におけるゲーテ・ルネサンスと『音色旋律』」(木村直弘)
     「モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』における二重唱-対話の表現と楽曲構造-」(松田聡)
     「フロレスタンとオイゼビウス-シューマンの芸術観の深層についての一考察-」(小川光)
     「V・ガリレーイと古代楽譜断片-西洋音楽における古典の伝統の一断面-」(津上英輔)
     「ノヴァーリスにおける生成のかたち」(加藤博子)
     「西田幾多郎の『芸術論』について」(高梨友宏)
     「W・ベンヤミンの弁証法的イメージにつて」(前川修)
     「お抱絵師-岡山藩と鳥取藩-」(守安収)
     「竹内栖風の人物画について」(廣田孝)
     「後期ヘレニズム美術における構造的変化について」(長田年弘)
     「レンブラントの『ブルジョワに扮した自画像』(Br.17)-ヴァニタスwめぐって-」(尾崎彰宏)
     「ジャクソン・ポロックと自然-オール・オーヴァー絵画への展開をめぐって-」(平井章一)
     「西洋絵画における色彩法の象徴的使用について」(若桑みどり)
     「観劇における悲哀」(細井雄介)
     「ヴェルフリンの『古典美術』とブルクハルト」(海津忠雄)
     「共感・模倣・変身-十八世紀イギリスにおける共感論と創作論の接点を求めて-」(相澤照明)
     「教育現象における美的と芸術的」(石川毅)

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