『月刊理想』 理想社/小口ヤケ、表紙背ヤケ有
通巻621号 (1985年02月):「無」の思想  800円    
 
   ・「対談:「無」とは何か−中国思想と「無」−」(三枝充悳/戸川芳郎)
   ・蜂屋邦夫「中国思想における無と有の論争」
   ・佐藤任「インドの無の思想−無神論を中心にして−」
   ・常盤義伸「仏教における無の問題」
   ・新田大作「『無』のエチュモロジー」
   ・秋月龍みん「禅における『無』」
   ・東専一郎「無−『現成公案』と『有時』」
   ・廣川洋一「ギリシアにおける『無』−パルメニデスの<非有>を中心に−」
   ・中山善樹「エックハルトの原点−『命題集コラチオ』をめぐって−」
   ・渡辺二郎「無・否定・存在とロジカル・アナリシス」
   ・小原信「無神論と市民宗教」
   ・藤井貞和「文学と無常」
   ・気多雅子「西田哲学と禅」
   ・岩井寛「『無』の精神病理学」
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   ・八木誠一「チェンマイの活きマンダラ」
   ・長野敬「コモンズの悲劇」
   ・佐藤正英「アマテラスの死−原郷世界への衝迫10−」
   ・渡辺邦夫「知識論の所在−『テアイテトス』研究2−」

通巻623号 (1985年04月):経済学の現在  800円    
 
   ・「対談:社会科学における求心と遠心」(西部邁/浅田彰)
   ・篠原三代平「現代経済学の昏迷」
   ・今村仁司「経済学の衰退」
   ・玉野井芳郎「<経済学の現在>の変遷」
   ・竹内啓「経済学の方法に関する一つの展望」
   ・三土修平「二つの経済学史観と現代異端派の課題」
   ・塩沢由典「『計算量』の理論と「合理性」の限界」
   ・佐藤金三郎「「必然の国」と「自由の国」」
   ・香西泰「マクロ経済学の現代」
   ・吉川洋「マクロ経済学の現在」
   ・佐伯啓思「『自由の科学』は可能か−経済学における客観主義と主観主義−」
   ・間宮陽介「経済学における自由の問題」
   ・塩野谷祐一「効用対権利−規範的経済学の哲学的基礎−」
   ・川本隆史「モラル・サイエンスとモラル・エコノミー−規範的経済学の<基礎>をもとめて−」
   ・山脇直司「経済学の新しい哲学的基礎付け向けて」
   ・稲田献一「健康保険診療報酬について」
   ・平山朝治「経済学における宗教性の変革」
   ・高須賀義博「マルクス経済学の現状」
   ・「座談会:経済学のパラダイムの転換を求めて」(廣松渉/山崎カヲル/石塚良次/須藤修)

通巻627号 (1985年08月):文化人類学の現在  800円    
 
   ・「座談会:異文化理解の座標軸を求めて」(吉田禎吾/木村秀雄/浜本満/栗田博之)
   ・「対談:人類学と哲学との間−文化人類学への期待と注文−」(山口昌男/中村雄二郎)
   ・岩田慶治「文化を超える」
   ・浜本満「文化相対主義の代価」
   ・綾部恒雄「エスニシティ研究における主観と客観」
   ・小泉潤二「解釈人類学の実践」
   ・船曵建夫「天皇制、その官能性の中心と外縁」
   ・杉田繁治「コンピュータ民族学とは何か」
   ・栗田博之「ボンジュール・トーテミスム」
   ・木村秀雄「レヴィ=ストロースとエセエハ族の神話」
   ・嶋田義仁「社会人類学再考−普遍学モデルから批判学モデルへ−」
   ・岡田宏明「生態人類学−文化唯物論の立場から−」
   ・伊藤亜人「医療の人類学−病気とそのプロセス−」
   ・長谷川敏彦「医学人類学の したもの」
   ・武井秀夫「クリティカル・メディシン・マン−『臨床人類学』運動考−」
   ・又吉正治/荻野恒一「沖縄のシャーマニズム(祖先崇拝)にみる家族療法の機能」

通巻628号 (1985年09月):科学・非科学・反科学  800円    
 
   ・「対談:科学と非科学−科学の境界線をめぐって−」(村上陽一郎/小幡和枝)
   ・「対談:ニューサイエンスの哲学的射程−ホログラフィック・パラダイムの座標−」(井上忠/伊藤笏康)
   ・飯田隆「哲学者のためのパラダイム論−H・I・ブラウン『科学論序説』をめぐって−」
   ・土屋俊「心の科学とは何か−『認知科学』における『科学』の概念−」
   ・杉山聖一郎「コスモロジーと科学」
   ・倉橋重史「科学社会学の最近の動向」
   ・成定薫「科学の客観性と党派性」
   ・吉岡斉「基礎科学の社会的吟味−高エネルギー物理学を例として−」
   ・西部邁「正気の復権」
   ・玉城康四郎「一冊の科学書との対話−全人格的思惟の立場から−」
   ・清水多吉「認知科学者たちは狂気の集団か?」
   ・浜本満「呪術−ある、『非-科学』の素描−」
   ・増永俊一「ニューサイエンスの周辺」
   ・藤本隆志「ニューサイエンスは新しいパラダイム言語を創造できるか」
   ・川本隆史「科学と倫理のあいだ−『科学者の社会的責任』をめぐって−」
   ・山本哲也士「科学の知識の客観性と<互性>の言説−安藤昌益の思想にみる分水界−」
   ・最首悟「人種改良はとどめがたいことについて」
   ・石川憲彦「医療における科学信仰」
   ・水口憲哉「開発の科学・維持の科学」
   ・河宮信郎「科学技術文明の実体的構造とその限界」
   ・藤田祐幸「近代科学批判としてのエントロピー論」
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   ・八木誠一「『神秘主義』輪講」
   ・野崎守英「闇の考現学−神・仏・光・闇−」

通巻629号 (1985年10月):演劇  600円    
 
   ・「対談:演じない演劇のために」(竹内敏晴/山崎哲)
   ・宇野邦一「もう一つの演劇」
   ・高橋孝一「アングラ演劇」
   ・今尾哲也「劇場の条件 -金比羅大芝居に思う-」
   ・北村清彦「オデュッセウスとオルフェウス -演劇とパフォーマンスに関する一試論-」
   ・上倉庸敬「演劇 -観客の時間-」
   ・利光功「現代生活と劇的なもの」
   ・久野昭「『演劇』のエチュモロジー」
   ・赤江瀑「セルフが戻ってくる日」
   ・如月小春「パフォーマンス嫌い」
   ・加藤新吉「<演劇のことば>とわたし -その断片的な・私的なある感想-」
   ・佐々木健一「限界の冒険 -H・ピンター作『背信』について-」
・梅本洋一「二つの演劇、二つの物語」
   ・長谷部浩「野田秀樹、あるいは速度の演劇」
   ・青木孝夫「世阿弥の能楽論に於ける『物まね』について」
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   ・ジャック・デリダ「Gesclecht -性的差異・存在論的差異-」
   ・C・F・ゲーツマン「科学の実存論的概念 -『存在と時間』第69節のbを手がかりとして-」
   ・北尾宏之「哲学の自己根拠づけは可能か -アーペルの場合」
   ・野崎守英「なぜ神かなぜ仏か -神・仏・光・闇-」
   ・長野敬「平家ガニの進化論」
   ・平山朝治「経済学における宗教性の変革(3)」
   ・篠原資明「構造主義・ポスト構造主義」
   ・八木誠一「西欧の行方」

通巻631号 (1985年12月):揺れ動く生命観  800円    
 
   ・「対談:生命観の新しい課題」(長野敬/中島みち)
   ・唄孝一「動き出したデンマークの脳死」
   ・鯖田豊之「自己決定権をめぐって−アメリカの事例研究−」
   ・中村桂子「『生命科学』再考」
   ・中川米造「現代人の生命観」
   ・相良亨「人命の尊重」
   ・中野東禅「現代の生命問題に仏教はどう答えるか」
   ・ひろさちや「『空』と『諸法実相』−仏教の平凡な生命観−」
   ・上野博正「語るもおろか」
   ・「対談:ライフサイエンスのフロントから」(長野敬/村松正実)
   ・小泉俊三「自己組織化/自己言及の円環−フランシスコ・ヴァレラの生物学と変貌する医療観−」
   ・飯田亘之「可能なことと望ましいこと」
   ・川本隆史「生命の科学と神話−ウィルソンの『社会生物学』の揺らぎー」
   ・柴谷篤弘「分子生物学は構造主義革命であった」
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   ・野崎守英「来迎の問題−神・仏・光・闇−」
   ・八木誠一「フロントの経験」
   ・秋月龍みん「超個が個に露わになる時−『体験が言葉に変わるとき』を読んでの一禅者の反省−」
   ・葵「月並閑話」
   ・久野昭「神秘主義的知の位相」
   ・黒崎政男「十八・十九世紀ドイツ言語哲学の見直しについて」
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