『九州人類学会報』
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第01号(創刊号・1973)
- (1)内藤莞爾「末子相続の族制的文脈−比較民族学的考察−」
- (2)国分直一「シナ海(東海)周辺に於ける複葬について」
- (3)永井昌文「海上の道」
- (4)岡部年晴「北ガーナ・カッセーナ族の宗教−その医療体系としての側面をめぐって−」
- (5)祖父江孝男「国民性・県民性研究の現状と問題点」
- (6)江淵一公「一つの民族集団としての黒人の最近の動向
−ミルタウン(アメリカ・ペンシルベニア洲)の調査から−」
- (7)小野沢正喜「新進化主義理論をめぐる諸問題」
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第06号(1978)
- (1)中島成久「妖術者探知運動の論理−アフリカの事例を中心として−」
- (2)亀井明徳「スマトラ出土の中国陶磁について」
- (3)小林淳一「AGIL図式の経験的妥当性と有効性」
- (4)杉村孝夫「家称語の命名法の型と地域社会の特徴」
- (5)大谷裕文「トンガの王権とハイアラーキ」
- (6)森川哲雄「チンギス・ハーンの亡霊−その後世に対する政治的影響について−」
- (7)坂井信生「ペンシルバニアのアーミシュ」
- (8)丸山孝一「住居空間の社会性−韓国民家の予備的調査報告−」
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第07号(1979)
- (1)笠井正弘「日蓮における政治的行動と法知識人的性格」
- (2)片多順「老人の地位・役割の比較文化」
- (3)藤山正二郎「『メアリー・ダグラスの両義的動物』について」
- (4)赤坂一紘「柳田国男研究−神々の零落と都市への指向−」
- (5)ブライアン・モーラン「土と水と火−陶工の集落構成に対する生涯・需要・供給関係の
影響について−(日田市小鹿田皿山の社会人類学的調査から)」
- (6)南方暁「マリノウスキーと日本の法律学」
- (7)丸山茂「マリノウスキーの法理論と青山先生の近代法学−婚姻を中心として−」
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第09/10合併号(1980)
- (1)ジョン・コナー「日系アメリカ人三世代の家族型と価値の持続性」
- (2)吉田達「『ウナタリ』覚書−平城宮跡に現存する宇奈多理座高御魂神社の変遷を考える−」
- (3)白土悟「修養の学としての民俗学−柳田国男の文化に対する概念について−」
- (4)片山隆裕「父系社会韓国の親族関係にみる女性の意味」
- (5)原尻英樹「民族集団研究の理論的展開に関する一考察−在日朝鮮人を主な研究対象として−」
- (6)平松礼子「日系アメリカ人の子ども観
−エスニック・アイデンティティー変容の一側面として−」
- (7)中島成久「"Ruwatan"における『供え物』(Sajen)」
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第15号(1987)
- (1)韓奎良「韓国巨石文化における立石の機能とその変遷」
- (2)服部研二「巨石の天文学について」
- (3)鈴木満男「中国民俗学の復活−<政治文化>の視点から−」
- (4)田中良之/土肥直美「古墳時代の親族関係について」
- (5)松永和人「我が国宗教民俗文化における『左(手)の優越」
- (6)片山隆裕「儀礼継承の構造−熊本県南阿蘇のヒガンゴモリに関するフィールド・ノートから−」
- (7)石井奈緒「新宗教・中山身語正宗の諸相−M教会における調査から−」
- (8)片多順「未亡人の文化」
- (9)Reiko Tsuru「The Fundamantal Study on How to Write Ethnography」
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第18号(1990)
- (1)藤山正三郎「バイオメディスンと文化としての<自己>」
- (2)吉岡斉「科学社会学からみた日本の西洋紹介学」
- (3)宋建華「中国少数民族の現状とその研究課題」
- (4)松本和人「わが国宗教文化にみる『左(手)』の習俗の解釈についての一つの試み
−『サカサ(逆)』ということの意味について−」
- (5)佐藤泉「在日ユダヤ人コミュニティにおける民族的文化の伝達・継承に関する一考察
−東京、神戸の事例を中心に−」
- (6)柯芳月「子どもの遊びと仕事に関する一考察−日本と台湾との事例研究を通して−」
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第21号(1993)
- (1)清水展「ピナトゥボ大噴火とアエタ民族の危機−運動の言説をめぐる内省−」
- (2)石井眞夫「フィジー、ヴィティ・レヴ島ラ地方における男の世界と女の世界」
- (3)喜多村百合「『国際開発をめぐるジェンダーの諸問題』−WIDプログラムを中心に−」
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第22号(1994)
- (1)浜本まり子「本名宣言−在日朝鮮人の民族的アイデンティティ形成に関する一考察」
- (2)東英寿「土家族の擺手節と芽古斯について」
- (3)西原明史「ウイグル族にのける今日のシャーマニズム」
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第23号(1995)
- (1)佐々木衛「現代中国の社会変動論−社会人類学的試論」
- (2)牛島史彦「明治大正誌農器具篇−犂の近代化をめぐる農村誌にむけて−」
- (3)中村晋介「銀鏡神社大祭の構造分析」
- (4)吉木史麗「『ユタ』の成巫過程と社会的役割に関する研究」
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第24号(1996)
- (1)鏡味治也「バリ島の慣習組織コンテストと民族文化の再構築」
- (2)姜麦瑞「中国帰国者の日本におけるイメージに関する実証的研究
−特に『オリエンタリズム』批判の視点から−」
- (3)柴山麻紀「支配の言説/抵抗の実践−現代アメリカにおける同性愛者の人類学的考察−」
- (4)喜多村百合「開発をめぐるローカル言説の形成−インド女性開発集団・SEWAの事例を中心に−」
- (5)金俊華「在中朝鮮族のエスニック・バウンダリーの動態に関する研究
−歴史的体験に関する語りの分析から−」
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第25号(1996)
- (1)江淵一公「トランスナショナリズム/トランスカルチュラリズム研究−グローバル人類学試論−」
- (2)砂野幸稔「多言語社会の文化戦略−西アフリカの小国セネガルの言語風景−」
- (3)片岡樹「東南アジアにおけるキリスト教受容の理解についての試論的考察」
- (4)山ノ内裕子「『文化』に関する言説生成過程の一考察
−在日ブラジル人児童受け入れ校における『母語教育』の問題をめぐって−」
- (5)山泰幸「憑依と名乗り−あるいは民俗学における『自己』の問題−」
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第26/27合併号(1999)
- (1)岩尾龍太郎「『絶海の孤島』トポスの成立」
- (2)宮下良子「在米コリアンのエスニシティに関する一考察」
- (3)中野紀和「『誇るべき』自文化の構築−小倉祇園太鼓における観光戦略と負の排除−」
- (4)中西裕二「憑きものにおける空間と時間」
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第28号(2001)
- (1)飯嶋秀治「ラオインの宗教人類学」
- (2)金子毅「創られる『職工』たち−高度経済成長と『安全』言説を通して−」
- (3)桑原知子「南インド映画界における大衆性と『芸術』との相克−『新参者』たちの経験から−」
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第29号(2002)
- ・綾部恒雄「九州人類学研究会設立30周年によせて」
- ●論文
- (1)長谷千代子「『日常的実践』に関する一考察−スコット『モーラル・エコノミー』論の読解をとおして−」
- (2)衛藤聡美「『自己』の語られ方−異文化解釈の問題に関連して−」
- (3)深津祐子「オクシデンタリズムから考える−私たちが人類学をおこなうために−」
- (4)山崎不二子「ターミナルケアの看護人類学的研究」
- (5)徳安祐子「まなざしを捉える−ノスタルジア・ツーリズムの人類学から−」
- ●研究ノート
- (6)岩切朋彦「海外の武道人が作り出す武道の特殊性−オーストリア、シドニーのライカート道場の場合−」
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第31号(2004)
- (1)吉田禎吾「分類を考える−人類学ノート−」
- (2)神原ゆうこ「自己表象の文化人類学−スロヴァキアにおける民主化後の文化人類学の模索−」
- ●特集・平成15年度『九人研オータムセミナー』より
- ・セッションA:第四世界の人類学
- (3)内藤順子「第四世界の人類学(趣旨説明」」
- (4)飯嶋秀治「生の可能性の共有に向かって−オーストリア、アリス・スプリングスのリヴァー・キャンパー−」
- (5)針塚瑞樹「インドの子どもの労働に見る階層化のイデオロギー−首都デリーを中心に−」
- (6)内藤順子「貧困をひらく−チリ・サンチャゴ市のスラム住民の暮らしと貧困克服計画をめぐって−」
- (7)片岡樹「フィールドで豊かに悩む−『第四世界の人類学」へのコメント−」
- ・セッションB:観ること・看ること・診ること−実践と人類学
- (8)野村亜由美「観ること・看ること・診ること(趣旨説明)」
- (9)野村亜由美「看護における人類学的実践の試み」
- (10)有馬未希「バングラデシュ農村部女性の水利用に関する研究」
- (11)嶋澤恭子「医療援助と人類学についての一考察−ラオスでの経験から−」
- (12)村上忠良「『観ること・看ること・診ること−実践と人類学−』へのコメント」
- ・セッションC:人の移動と『想像/創造』される故郷
- (13)山ノ内裕子「人の移動と『想像/創造』される故郷(趣旨説明)」
- (14)山田千香子「バンクーバーにおける日系移民の活動と連帯−『新移民』を中心として−」
- (15)山城千秋「沖縄の郷友会と社会教育実践」
- (16)山ノ内裕子「『コロニア』と『デカセギ』−移動の経験におけるエスニシティの形成−」
- (17)中西裕二「『人の移動と『想像/創造』される故郷』へのコメント」