「現代思想(1994年)」 青土社
通巻22-02号(1994年02月):世紀末の異端の思想家たち 500円

   S・モーゼス『ユートピアと贖い』
   Y・コーエン『1900年に20歳になること』
   E・ウェーバー『デカダンスの時代』
   臼井隆一郎『アウラの言語記号論』  
   高橋義人『世紀転換期におけるゲーテ・ルネサンス』
   初見基『世紀末の残響』
   有田英也『茸のかたちをした思想家の肖像』
   小岸昭『カフカと破局の哲学』
   高尾謙史『聖霊の花嫁』  
   平野嘉彦『唯名論もしくは「神なき神秘説』
   合田正人『神秘の国籍』
   守永直幹『未知なるものへの生成』
   塚原史『エクリチュールの彼方へ』
   山田広昭『抵抗の線』  
   富山太佳夫『我が名は右翼』
   高橋順一『アーサー・ラヴジョイ』

通巻22-07号(1994年06月):インド的なるもの 600円

   J・シャープ『帝国のアレゴリー−読むことの新植民地主義的条件−』
   W・D・オフラハティ『インドにおける性的流体論』
   F・ツィンマーマン『菜食主義と非暴力についてのノート』
   C・マラムー『刀の経路−ヴェーダの供犠における解体に関する考察−』  
   藤井毅『歴史の中のカースト−古典的インド社会観の実体化をめぐって−』
   松村一男『<インディー>・ジョーンズ以前と以後−インドの「発見」とインド−ヨーロッパ語比較言語学−』
   川勝平太『インド洋経済圏をめぐる文明の衝突』
   彌永信美『他者としてのインド』
   湯田豊『インド哲学の理論的枠組みの組み替えについて』  
   渡辺公三『近代システムへの<インドからの道>』
   中村忠男『路上のモナドロジスト−南インドの巡礼をめぐる民族誌の余白で−』

通巻22-09号(1994年08月):<日本語>の現在 500円

   亀井孝/田中克彦『国家語の系譜』
   子安宣邦『「国語」死して「日本語」は生まれたか』
   イ・ヨンスク『国語学と言語学』
   加川恭子『「皇国ノ正音」と「古代国語の音韻」』  
   村井紀『帝国の語り』
   桜井進『声の形而上学』
   宮川康子『「日本語学」・二つのはじまり−佐久間鼎と三上章−』
   中村春作『「敬語」論と内なる「他者」』
   糟谷啓介『日本の「言語問題」』  
   立川健二『POUR OU CONTRE SAUSSURE?−未来の国語設計者・小林英夫の言語学思想−』
   村山七郎/若森栄樹『「日本語」探索−比較言語学の諸相−』

通巻22-10号(1994年09月):時間と生命 500円

   L・マーグリス/D・セーガン『性の30億年ー進化の共通遺産と多様な戦略−』
   D・デネット/M・キンスボーン『時間と観察者−意識は脳のどこに、いつ生じるのか?−』
   松野孝一郎『時間を生み出す時間』
   池田清彦『構造・遺伝・恣意性』  
   柴谷篤弘『生命・遺伝・DNA−生物学で遺伝性とDNAの関係はどうとらえればよいか−』
   川出由巳『生命系における記号機能体としての分子−分子生物学をとらえなおす−』
   郡司ペギオー幸夫『生命と時間、そして原生−計算と存在論的観測』
   河本英夫『第三世代システム:オートポイエーシス5』
   大森荘蔵『自我概念の起源と制作』  
   高橋さきの『サイボーグ状況下の身体性−テクノバイオポリティクスという方法−』
   野家啓一『「生命誌」をめぐる断想』
   大澤真幸『社会性の起源 序』

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