「現代思想(1993年)」 青土社
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通巻21-01号(1993年01月):西田幾太郎 800円
- J・W・ハイジック『京都学派の宗教哲学』
- J・C・マラルド『懺悔道と理性の危機』
- 上田閑照『西田哲学を読む難しさ』
- 高橋哲哉『<運命>のトポロジー』
- 清水太郎『「歴史的形成作用の論理」の光と影』
- 大橋良介『西田哲学の「技術論」』
- 中岡成文『西田哲学と知の悲しみ』
- 野家啓一『歴史の中の身体』
- 上野俊哉『哲学的ロマン主義あるいは「無」というジャーゴン』
- 米谷匡史『三木哲学とマルクス』
- 柿本昭人『加藤正の<Pour Marx>』
- 港道隆『自己犠牲と思弁』
- 岸由二『「種社会」と国家』
- 粕屋英一『戦中期の中国における日本人知識人たちのクロス・ロード』
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通巻21-04号(1993年04月):仮構としての経済−市場・貨幣・文明− 500円
- F・ジェイムソン『ポストモダニズムと市場』
- J-C・アグニュー『交換の臨界』
- J・リアーズ『広告人と大審問官』
- S・コフマン『負債を返さぬ方法』
- W・マイケルズ『「シスター・キャリー」の大衆経済学』
- M・ギルモア『「書記バートルビー」と経済の転換」
- 末廣幹『市場と表象の危機』
- 松延康隆『銭から「貨幣」へ』
- 臼井隆一郎『フィロコフィー的省察』
- 櫻井進『巡礼から資本主義へ』
- 澤野雅樹『他所者を友とする者』
- 田崎英明『涙と黄金』
- 鈴木一策『価値形態論における「主体」の実在界』
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通巻21-05号(1993年05月):民族問題の根源へ−消えゆく国民国家− 500円
- J・デリダ『INTERPRETATIONS AT WAR』
- E・バリバール『フィヒテと内的国境』
- M・クレイフィ『パレスチナのイマージュと「世界記憶」の生成』
- J・パトチカ『歴史に意味はあるか』
- 山田広昭『国民語り Na(rra)tion』
- 関曠野『アメリカの夢としての民族主義』
- 大貫敦子『ナショナリズムという病−ドイツの場合−』
- 加藤一夫『中・東欧諸国におけるナショナリズム・ルネサンス』
- 糟谷啓介『「ネーション」と啓蒙』
- 高橋哲哉『<運命>のトポロジー2』
- 上野俊哉『ネーションに抗する政治』
- 姜尚中/村井紀『乱反射するオリエンタリズム』
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通巻21-06号(1993年06月):ナノテクノロジー−変容する文化− 500円
- J・クレイマー『ナノテクのデザイン』
- K・クレイマー『サイエンス・フィクションと球牛の冒険』
- C・ラングトン『人工生命のヴィジョン』
- 永瀬唯『針先にいくつ神の眼』
- 服部桂『イメージのリミックスもしくは聖なるものの不在』
- 室井尚『いま技術が挑発する』
- 志賀隆生『<情報のよどみ>とインタラクティヴ・マルチメディア』
- 黒崎政男『コンピュータは普遍言語をめざすか』
- 武野浩治/木下真/北村礼明/後藤将之『マルチメディアのディスクール』
- 後藤将之『情報的世界観』
- 桂英史『エートスとしてのリアリティ』
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通巻21-09号(1993年08月):浮遊する国家−外国人問題の視点から− 500円
- エチエンヌ・バリバール『「ネオ・ラシズム」は存在するのか』
- P・F・ベル『第三世界における資本とジェンダー』
- G・ノワリエル『フェルナン・ブローデルへの質問』
- A・オング『抵抗の精神/零』
- 梶田孝道『二つの「民族問題」』
- 駒井洋『エスニック共生社会への条件』
- 水野武『<非同一性>の可能性』
- 船戸与一『国境線上の第四世界』
- 金塚貞文『天皇・日本人・外国人労働者』
- 木前利秋『階級差別・性差別・人種差別』
- 上田信『テーッ・ムアン・バーン』
- 田崎英明『越境』
- 鄭暎恵『定住外国人と近代国家の誤算』
- 小谷真理『わが時の娘たちよ』
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通巻21-10号(1993年10月):文字と共同体 800円
- F・キットラー『作者であることと愛』
- 増田一夫『マレビトとしての未来語』
- 小森陽一『個人と活字』
- 石田英敬『マラルメ・メディア・マクルーハン』
- 山田広昭『襞、エクリチュールとしての』
- 赤間啓之『日時計の裏側に平行宇宙の入口が...』
- 松枝到『おこなえ、数えよ、学ぶべし』
- 岡本光平『書の図像学』
- 宮下志朗『新しい酒を古い皮袋に入れること』
- 臼井隆一郎『アレフを巡って』
- 西谷修『歴史とその亡霊』
- 西成彦『文字所有者の優位から文字の優位へ』
- 西垣通『マルチメディア時代の漢字アイコン』
- 松村剛『口承と文字』
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通巻21-12号(1993年11月):病院都市 500円
- 小林昌廣『介入する病院都市』
- 飯島洋一『医療、儀礼、建築』
- 石井奈緒『<病い>のコスモロジー』
- 川本隆史『介護・世話・配慮』
- 松永澄夫『病む身体の関係性』
- 重光哲明『規律社会から管理社会へ』
- 鷲田清一『身体の人称/人称の身体』
- 小松美彦『臨床医学の暗流』
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通巻21-13号(1993年12月):法人資本主義 500円
- M・フレネス『日本労働者』
- P・ディリバヌル『日本モデルは移植可能か?』
- 岡崎哲二『歴史的視点からみた日本の政府・企業間関係』
- 日向野幹也『メインバンク論に見る日本異質論』
- 松原隆一郎『市場競争の型と経済倫理』
- 馬場宏二『会社主義のプロブレマティーク』
- 須藤修『情報テクノロジーと企業変容』
- 宇波彰『「世界」としての会社』
- 金塚貞文『消費社会における「性愛の術」』