「現代思想(1992年)」 青土社
通巻20-01号(1992年01月):フェミニズム批判−人種・階級・性− 500円

   P・アダムズ/J・ミンソン『フェミニズムにおける「主体」の問題』
   C・マッキノン『セクシュアル・ハラスメント』
   G・T・スタントン『試される差異』
   G・T・ナイン『黒人女性、性差別と人種差別』  
   T・T・ミンッハ『綿と鉄』
   金塚貞文『超越論的オナニズムについて−フーコーの言ったことと言わなかったこと−』
   加藤秀一『生殖する権力−ジェンダー・主体・新しい優生学−』
   山崎カヲル『フェミニズムトマルクス主義と...』
   江原由美子『「社会的権力」の理論化はいかにして可能なのか?』  
   伊田久美子『資本主義批判の可能性』
   柏谷佐和子『「夫婦別姓」のセカンドステージ』
   田崎英明『摩擦と抵抗』
   有満麻美子『フェミニズムの「内なる差異」』
   今福龍太『フェミニズム・イン・アドレセンス』

通巻20-03号(1992年03月):メディアとしての人間−マクルーハンを超えて− 500円

   マーシャル・マクルーハン/B・パワーズ『天使からロボットヘ』
   E・マクルーハン『電子メディアの右脳的展開』
   D・ケルクホフ『サイバーメディアにおけるバイオニック的統合』
   W・コールマン/P・ペリン/『メディア・ニュートラル』  
   J・D・ボルター『何を読むのか、何を書くのか』
   H・ケナー『ジェームズ・ジョイス:目録のコメディアン』
   武邑光裕『センソリー・プロジェクション』
   山内志朗『身体としてのメディア』
   佐々木正人『身体はメディエイトしない』  
   志賀隆生『「ツインピークス」とメディアの興亡」
   奥野卓司『バーチャル時代のマクルーハン』
   杉田敦『絶望の媒質』
   鈴木泉『技術とメディアへの声低き批判』
   高山宏『メディア・ポエティック』

通巻20-04号(1992年02月):脱神話する「古事記」 500円

   F・マセ『日本の伝承記述に見る二つのエクリチュール』
   魯成煥『国譲り神話と王権の論理』
   G・L・イーバソール『死の神話学と新嘗祭』
   川村湊/長尾龍一『「古事記」における法と伝承』  
   村井紀『都市の漢意』
   阿部泰郎『八幡縁起と中世日本記』
   巽孝之『畜権神授説』
   藤井貞和『「古事記」という歴史叙述』
   佐藤正英『祀りを行うひとびとの物語』  
   神野志隆光/米谷匡史『古代神話のポリフォニー』
   大澤真幸『国家形成の二つの層』
   橋本治『海の彼方に須佐之男命』
   笠井潔『偽史の想像力』
   吉田敦彦『「古事記」のオホクニヌシ神話に見える脱皮モチーフと再生』

通巻20-05号(1992年05月):ドーキンス−利己的な遺伝子の戦略− 500円

   M・ルーズ/E・O・ウィルソン『倫理の進化』
   P・キッチャー『野望の跳梁−社会生物学は人間の本質に迫れるか−』
   D・L・ハル『科学における利他性』
   G・T・キャプラン/L・J・ロジャーズ『性は定義できるか−生物還元主義による「正常」認定の嘘−』  
   佐倉統『利己的遺伝子の彼方へ』
   片野修『利己性の浸透と崩壊』
   宇波彰『ドーキンス批判を超えて』
   川本隆史『利己的遺伝子への/からの反逆?』
   粕谷英一『社会生物学と新型のオールドタイプ人間論−竹内久美子批判−』  
   河田雅圭『心理学・教育学の生物学的基盤は大丈夫か?』
   田中聡『進化論の適応戦略−あるいは、なぜ日本人は進化論が好きなのか−』
   遠藤彰『ドーキンッジアン・アニマルの世界』
   山崎カヲル『生まれつきの変質者と生まれつきの反革命』
   松原隆一郎『社会生物学のロジックと自由主義』  
   佐和隆光/日高敏隆『生物学的社会学は可能か』

通巻20-06号(1992年06月):<流行病>のエピステーメー 500円

   S・L・ギルマン『エイズのイメージ−世紀末における性と病気の表現−』
   A・コルバン『性病の脅威−公衆衛生による予防と道徳による予防−』
   L・ミュラール/P・ジルベルマン『都市の民族衛生学』
   柿本昭人『安心の構図−エイズとコレラ−』  
   根岸昌功/これひさかつこ『エイズを生きる−臨床現場からの報告−』
   田崎英明『生の様式としてのセイファー・セックス−エイズとアイデンティティ−』
   田中聡『どこまで歩けば病気のない国−衛生展覧会の時空間−』
   見市雅俊『疫病の「地誌学」』
   小林昌廣『疫病・ディシプリン・社会医学』  
   富島美子『狂女がうつる−メロドラマの神経影絵−』
   川村湊『ライ、古代的隠喩』
   澤野雅樹『癩者の生−最後の社会の向こう側−』
   川村邦光『病める女−近代日本のセクソロジー研究へ向けて−』

通巻20-07号(1992年07月):南方熊楠 600円

    松居竜五『形成期の南方学』
   小林武『言語としての南方熊楠−東洋的知のモザイク−』
   飯倉照平『熊楠の親しんだ中国の古籍』
    鈴木薫『熊楠先生の博識の源泉−「十二支考」に見えたる非漢字文化圏文献の引用法を論ず−』  
   松枝到『写字生熊楠−南方熊楠の<読書>をめぐって−』
   山本幸憲『粘菌学者リスター父子の南方熊楠宛書簡から』
   郷間秀夫『幻の熊楠粘菌学とその謎』
   阿部泰郎『熊野考−花山院と小栗−』
   西川照子『「南方熊楠」を見立てる−田辺に坐す熊楠−』  
   小野有五『熊楠のフィールド・ワーク』
   永沢哲『花は紅、柳は緑−複数の声−』
   桐本東太『ミナカタ宇宙論の彼方』
   南方熊楠・資料『珍事評論第2号』
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   G・ドゥルーズ『ベルクソン−1859-1941−』  
   A・コルバン『性病の脅威(承前)』

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