「現代思想(1989年)」 青土社
通巻17-01号(1989年01月):器官なきセックス 500円

   ジャン・ボードリヤール『性的対象の称賛』
   イタロ・カルヴィーノ『性と笑いー領域の定義・エロチシズム−』
   A・ドウォーキン『皮膚の喪失』
   Ch・フーリエ『<調和世界>の効用』  
   山田登世子『バタイユの美女殺し』
   松浦寿輝『Erotiques/rhetoriques』
   金塚貞文『商品は女性名詞−性的資本制について−』
   飯沢耕太郎『セックスとそのイメージ』
   北原童夢『豊かな倒錯者たち』  
   鷲田清一『physical consciousness』
   市田良彦『窃視と露出』
   伊藤俊治/植島啓司『メディア・セックスのエクスタシー』

通巻17-04号(1989年04月):知識のエンジニアリング−エキスパート・システムは知能を持つか− 500円

   W・J・クランシー『学生としての知識工学者』
   R・G・バウワーマン/D・E・グラヴァ『なぜAI、エキスパートシステムは知能をもたないか』
   I・アレクサンダー/P・バーネット『知識を構造化する』
   W・G・ライカン『暗黙の信念』  
   J・A・フォーダー『心理学的説明における暗黙知への訴え』
   寺野隆雄『知識のコンパイル』
   岩谷宏『そろそろ孤独に倦んだコンピューター』
   小田島隆『パンドラのハコテン』
   村上陽一郎『人間的な、余りに人間的な』  
   高山宏『クロスしてリファーチェインバーズとロジェイの見果てぬ夢−』

通巻17-06号(1989年05月):HIGH STYLE−ポスト大衆社会の階級論− 500円

   メアリ・ダグラス『趣味のよさ−ピエール・ブリュデュー「ディスタンクシオン」−』
   W・リプチンスキー『ノスタルジー−家・ある発想の略史−』
   今村仁司『文化階級論の射程』
   高橋順一『近代と群集』  
   宇波彰『新しい時代のリッチ』
   青木保『ハイ・スタイルの条件』
   輿謝野文子『分類の蜃気楼』
   田中克彦『言語と階級と民族語の問題』
   粉川哲夫『階級論のための<ハイパーテキスト>』  
   宮台真司『消費・階層・システム』
   渡辺和博『小さな不幸のセット・メニュー』
   山崎浩一『<純愛>と<玉の輿>における新・階層意識の深層』
   奥出直人『ノスタルジー・ブルジョワ・ファンタジー』
   生井英考『「ハイスタイル」の諸相』  
   鈴木正文『速度機械のプライオリティ』
   布野修司『住まいへの夢の系譜と住宅戦争』
   杉村昌昭『空間支配の階級構造を問う』

通巻17-08号(1989年07月):消費される<大学> 500円

   マルティン・ハイデガー『ハイデガーの絶望』
   ジャック・デリダ『戯れする貴重な自由』
   G・グラネル『大学にかかわるすべての人々へのアピール』
   R・ローティ『あの昔懐しき哲学』  
   松浦良充『すべての人にとっての最良の教育』
   宇波彰『知識人の退場』
   栗本慎一郎『自由で開かれた大学、あるいは解体された大学へのプレリュード』
   粉川哲夫『大学というスペース』
   関曠野『「法」と「学」と「教育」の三位一体』  
   三島憲一『分散化した公共性』
   富山太佳夫『オックスフォード大学における教育、宗教、金銭』
   木村力雄『「帝国大学令」の謎解きの試み』
   尾中文哉『大学制度の転回について』
   土屋俊『大学と産業の協力と大学の理念』  
   落合仁司『風土としての大学』」
   潮木守一『悲喜劇の場としての大学』

通巻17-12号(1989年11月):民主主義の発明 500円

   J・デリダ『日延べされた民主主義』
   C・ルフォール『人権と政治』
   S・ウォリン『イサクの二人の息子』
   A・ジノヴィエフ『共産主義社会における反対派』  
   今村仁司『天安門事件について』
   串田久治『北京に思う』
   笠井潔『世紀末資本主義と「民主化」運動』
   西谷修『民主主義の熱的死』
   市田良彦『竪杭の民主主義』  
   小泉義之『残された者』
   川本隆史『民主主義と<私たち>』
   高頭直樹『「自由」の詭計』

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