「現代思想(1987年)」 青土社
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通巻15-03号(1987年03月):変貌するフーコー−倫理の系譜学− 500円
- M・フーコー『全体的かつ個別的に』『汚名に塗れた人びとの生活』
- M・ジェイ『まなざしの帝国にて』
- I・ハッキング『自己修養』
- H・ドレイファス、P・ラビノウ『成熟とはなにか?』
- 宇波彰『権力論を越えて』
- 浜名優美『フーコー、イリガライ、倫理の変奏』
- 高頭麻子『ティル・オイレンシュピーゲルの悪戯あるいはフーコーの<変貌>』
- 神崎繁『ARS VIVENDIーその変容と変形−』
- 落合恵美子『江戸時代の出産革命』
- 市田良彦『ハイデガーを食べるニーチェ』
- 丹生谷貴志『砕けやすい年』
- 川本隆史『マジカル・ミステリー・ディスコース』
- 鈴木聡『欲望の技術のための覚え書き』
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通巻15-05号(1987年04月):機械じかけの心−人工知能の現象学− 売切れ
- E・ホーレンシュタイン『機械の知識と人間の意識』
- H・ドレイファス『フッサール・志向性・認知科学』
- D・デネット『コグニティブ・ホイール−人工知能におけるフレーム問題−』
- T・ウィノグラード/F・フローレス『コンピュータと知能』
- P・マコーダック『人間は考える』
- 大澤真幸『心の社会性−機械の心・人間の心−』
- 栗本慎一郎『AI情報理論批判序説−だが、「知」は見えるー』
- 村上陽一郎『AIと哲学』
- 黒崎政男『哲学の予言と人工知能問題』
- 野家伸也『現象学と認知科学−「認知論的転回」以後の科学と哲学−』
- 坂村健『新しい知能の定義』
- 大和雅之『SMALLTALK between AI and TK』
- 伊藤源石『二重螺旋機の生理について』
- 西垣通『象徴像のコンピュータ学−脱チョムスキーのために−』
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通巻15-08号(1987年07月):サルトル以後のサルトル 500円
- J・デリダ『自伝的な"言葉"』
- J=F・リオタール『サルトルの成功』
- 宇野邦一『サルトルの<ねばねばしたもの>』
- 丹生谷貴志『ジャン=ポール・サルトルの思い出』
- 梅本達郎『コギトの死』
- 北見秀司『サルトルにおける二つの「他者」』
- 金塚貞文『胎児とはオナニストの産む虚構である』
- 西谷修『サルトル、歴史と殉教』」
- 市田良彦『綱渡り』
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通巻15-09号(1987年08月):コミュニケーションとしての経済 500円
- マルク・シェル『黄金虫−アメリカにおける「文学産業」への手引き』
- J・J・グー『交換価値と象徴的なものの歴史』
- 山崎カヲル『贈与交換から商品交換へ』
- 廣松渉『貨幣と信約的行為−物象化論展開の一管制−』
- 大澤真幸『資本主義の錬金術』
- 今村仁司『他者を信用するということ』
- 塩澤由典『在庫・貨幣・信用−複雑系の調整機構−』
- 猪木武徳『貨幣と信用をめぐる二、三の論点』
- 石塚良次『貨幣の不在と他者の不在』
- 樫村晴香『エコノミーの終了』
- 宮本光晴『市場・ルール・組織』
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通巻15-12号(1987年10月):男性論−揺らぐセクシュアリティ− 500円
- M・ライアン『差異について−ある日本の友人への手紙−』
- P・シュウェンガー『ペンとペニス』
- K・テーヴェライト『男たちのファンタジー』
- F・ボーム『男性に見る女性性コンプレックス』
- 大島清『男はいかにつくられるか』
- 宇波彰『男性への生成変化』
- 田原八郎『漂泊の性』
- 小浜逸郎『性差の根拠とは何か』
- 渡辺恒夫『時輪宮に弥勒女を訪ねて』
- 及川卓『男性性の脆弱性』
- 種村季弘『ベラ・ドンナのまどわしとともに−悪魔の男性像−』
- 植島啓司『露出症と覗き』
- 松岡悦子『出産にかかわる男たち』
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通巻15-13号(1987年11月):アドルノ−モダニズムの往還− 600円
- テオドール・W・アドルノ『否定弁証法−形而上学についての省察−』
- 〃 『音楽と現代音楽−ペーター・ズーアカンプの思い出に−』
- 〃 『哲学のアクチュアリティー』
- P・デューズ『アドルノ、ポスト構造主義、同一性批判』
- J-F・リオタール『議論、あるいは「アウシュヴィッツ以後」文-節すること』
- P・ビュルガー『モデルネの老化』
- 三島憲一『理性の破片と痕跡をめぐって−「否定弁証法」への注釈と批判の試み−』
- 今村仁司『アドルノの根本モチーフについて』
- 庄野進『アドルノ的断章』
- 八束はじめ『アドルノにおけるモダンとポストモダン』
- 與謝野文子『時間・芸術・商品』
- 吉岡洋『メランコリーの聖域を開く』
- 室井尚『アドルノのいる風景−知識人の肖像−』
- 木前利秋『解釈としての哲学と形式としてのエッセー』