「現代思想(1986年)」 青土社
通巻14-01号(1986年01月):老いのトポグラフィー 500円

   E・H・エリクソン『ホルイ博士のライフ・サイクル−映画「野いちご」の分析−』
   森敦『老いのエクスタシー』
   今村仁司『思想の晩年様式−主観性の最後の輝き−』
   福原泰平『老いと心理主義』  
   鎌田東二『老いのトポス』
   福井憲彦『老い−歴史から現在へ−』
   山田正行『老いと学習−生涯教育体制における−』
   内藤正敏『波瀾万丈・漫遊仙人一代記』

通巻14-03号(1986年03月):マイケル・ポランニー−暗黙知の思考− 800円

   マイケル・ポランニー『生命の非還元的な構造』
   J・ギル『ウィトゲンシュタインとポランニー』
   E・ウィグナー『量子力学の認識論ー暗黙知と観測について−』
   K・フリードリッヒ『新たな規範基準としての人間−人格的知と自然法の探究−』  
   栗本慎一郎『非決定とイマジネーション−ポランニーの「意味」と「意味論」の核心−』
   中村雄二郎『<暗黙知>と<共通感覚>−マイケル・ポランニー読解序説』
   慶伊富長『科学者としてのマイケル・ポランニー』
   村上陽一郎『ハンガリー現象とは』
   土屋恵一郎『日常の中の秘法』  
   佐藤敬三『万有引力論と暗黙知の説』
   渡辺博『Tacit Knowledge−その使い方−』
   吉田忠『科学史と科学社会学のはざま』
   橋爪大三郎『科学の言説・法の言説−情報の言説技術論−』
   室井尚『暗黙の構図−M・ポランニーと層状の宇宙−』  
   秋山さと子『イメージと階層的な知』

通巻14-04号(1986年04月):未翻訳ブックガイド−現代思想の22冊− 500円

   M・フーコー『<性>の歴史』
   G・ドゥルーズ=F・ガタリ『千のプラトー』
   C・レヴィ=ストロース『神話の論理』
   J・デリダ『郵便葉書』  
   J-F・リオタール『ディスクール、フィギュール』
   J・クリステヴァ『愛の歴史』
   M・セール『パラジット−寄食者の論理−』
   E・レヴィナス『全体性と無限』
   H・ルロワ=グーラン『西洋芸術の始源』  
   U・エーコ『不在の構造』
   N・フライ『大いなる記号体系』
   P・ド・マン『読むことのアレゴリー』
   F・ジェイムソン『政治的無意識』
   R・ローティ『哲学と自然の鏡』  
   H・ホワイト『メタヒストリー』
   R・ノージック『哲学的説明』
   ホルクハイマー=アドルノ『啓蒙の弁証法』
   W・ベンヤミン『パサージュ論』
   H・ブレーメンベルク『近代の哲学的ディスクル』  
   H・G・ガダマー『真理と方法−哲学的解釈学の要綱−』
   N・ルーマン『宗教の機能』
   J・ハーバーマス『近代の哲学的ディスクルス』

通巻14-05号(1986年05月):スポーツの人類学 500円

   P・パゾリーニ『言語活動としてのサッカー』
   N・エリアス『文明化の過程におけるサッカー』
   S・サレツスキー『性とテニス本能』
   D・フォウクト『ベースボールに見るセックス』  
   細川蹴平『サッカーの蹴辞学序説』
   田原八郎『減量の哲学ーボクシングの「哲学」体系−』
   五十嵐一『気を揉む話−フェア・プレイと反則・八百長の美学−』
   清水哲男『健康幻想の正体』
   中村敏雄『近代スポーツにおける自然と人工』  
   丘澤静也『テキストのかなしみ−サティとトライアスロンー』
   室井尚『「転換」と「変異」−スポーツあるいは奇形的身体の開花−』
   伊藤俊治『スポーツ・バイオメカニクス−モダン・スポーツの終焉−』
   高山宏『男爵ピエール・ド・クーベルタンの世紀末』
   田之倉稔『ファシズムと身体』

通巻14-06号(1986年06月):フィクションとしての法 500円

   E・シューエル『法廷と夢』
   J・ホワイト『レトリックと法−文化的・社会的生活の技法−』
   P・アティヤ『法と道徳における約束の概念』
   R・ドゥオーキン『正しい解答はないのか−「物語的整合性」と法−』  
   瀬戸内寂聴『裁判と私−徳島ラジオ商殺し事件と連合赤軍裁判について−』
   田中克彦『法が性を裁くとき』
   五十嵐一『嘘の効用−裁判の詩学と「詩学の裁判」』
   金井淑子『法のレトリック性と女性主体』
   橋爪大三郎『法とことばとその源泉』  
   中島秀之『法律ゲームと自己参照ループ』
   嶋津格『法における発見−反レトリック試論−』
   堅田剛『「法の詩学」再考』
   土屋恵一郎『ベンサムの虫ピン』
   加藤尚武『法における心身問題』  
   関曠野『マルクスと法−法の唯物論的概念をめぐって−』
   川本隆史『法と道徳のあいだに−「市民的不服従」を手がかりとして−』

通巻14-11号(1986年10月):現代ドイツの思想 500円

   J・ハーバーマス『現代の心臓に矢を打ち込む』
   K・H・ボーラー『破壊のメタファーへの回顧』
   M・フランク『文学テキストとは何か、』
   A・ヴェルマー『芸術と工業生産』  
   P・スローターダイク『ワイマールとカリフォルニア』
   E・ヴァイグル『我々は何故ハイデガーを読まなかったのか?』
   三島憲一『精神と政治の道具的ならざる関係をめぐって』
   大貫敦子『「瞬間性」の美学』
   森本浩一『フランクにおける「個別性」の解釈学』  
   野家啓一『海峡を隔てた「語用論」』
   小松恵一『超越論的論証と超越論哲学』
   粉川哲夫『八〇年代のハイデガー』

通巻14-12号(1986年11月):ディスクールとしての歴史 500円

   C・ギンズブルグ『歴史と想像力−極小史から形態的コンテクストを探る−』
   F・ブローデル『フェルナン・ブローデル 驚くべき知識人』
   D・ラカプラ『歴史と小説』
   G・マクレナン『ブローデルと「アナール」派のパラダイム』  
   A・ラゴプーロス『記号論と歴史−マルクス主義的アプローチ−』
   A・ゴドロー/T・ガニング『映画史の方法』
   細川周平『操作の歴史学−ミシェル・ド・セルトーに寄せて−』
   室井尚『「歴史」は誰のためにあるのか?』
   廣松渉『生態史観の射程』

通巻14-14号(1986年12月):プリゴジーヌ−ゆらぎ・カオス・秩序− 800円

   イリヤ・プリゴジーヌ『秩序と散逸』
       〃    『私自身によるプリゴジーヌ』
       〃    『人間と自然との新しい対話』
       〃    『科学・文明・民主主義』
   浅田彰『プリゴジーヌ−躍動する生成の科学−』
   安孫子誠也『散逸構造論と物理学のメテモルフォーシス』
   丹羽敏雄『散逸構造論への一つの視点』  
   北原和夫『不可逆性の問題』
   大庭健『自己組織化と人間』
   武者利光『ゆらぎと個性』
   大澤真幸『身体の微視政治技術論』
   宇波彰『<冬の年>のカオス』

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