「現代思想(1985年)」 青土社
通巻13-04号(1985年04月):後期レヴィ=ストロース 500円

   クロード・レヴィ=ストロース『クレチャン・ド・トロワからワーグナーへ』『ラヴェルの「ボレロ」』
           〃     『瞑想的な絵画』『若い画家に』『講義をするレヴィ=ストロース』
           〃     『人類学・歴史・イデオロギー(ゴドリエ/オージェとの対話)』
   J・カラー『神話の論理』  
   松村一男『現代神話学におけるレヴィ=ストロース』
   吉田敦彦『縄文土器の文様とアメリカ原住民神話』
   吉田禎吾『構造分析と経験主義』
   山崎カヲル『結晶の硬質性ーレヴィ=ストロースと「普遍」』

通巻13-06号(1985年06月):家族のメタファー売切れ

   今村仁司『近代家族内の子供と老人』
   本田和子『「永遠の子ども」と家族の神話』
   福井憲彦『家族の多様性−フランス家族史研究から−』
   落合恵美子『<近代家族>の誕生と終焉』  
   長島信弘『社会科学の隠喩としての家族』
   佐々木孝次『エディプスの三角形』
   志貴春彦『反家族の運命−レイン、クーパーの場合−』
   布野修司『戦後家族と住居−nLDK家族モデルと建築家−』
   櫻井哲夫『近代家族のなかの「青年」』  
   池内紀『ある家族物語』
   宇波彰『不死のオイディプス』

通巻13-08号(1985年07月):パラダイム論以後−科学的真理と相対主義−売切れ

   トーマス・クーン『パラダイム再論』
   B・バーンズ&D・ブルーア『相対主義・合理主義・知識社会学』
   I・ラカトシュ『科学と擬似科学』
   H・パットナム『二つの合理性概念』  
   D・デイヴィッドソン『経験主義の第三のドグマ−概念枠とはそもそも何かー』
   G・ベーメ『科学の目的内在化』
   横山輝雄『相対主義と真理問題ーポスト・パラダイムの科学論−』
   成定薫『科学社会学の展開』
   大森荘蔵/柄谷行人/野家啓一『パラダイム論と言語ゲーム』  
   加藤尚武『「パラダイム相対主義」批判』
   野家啓一『<知のネットワーク>と<パラダイム>』
   今村仁司『創発的知性』
   内堀基光『スキャンダル以後−フリーマンのミード批判をめぐって−』

通巻13-09号(1985年08月):ディコンストラクション 600円

   Ch・ノリス『イメージと寓話ーベンヤミン・マルクス主義・ディコンストラクション−』
   M・テイラー『空白の鏡−神学におけるディコンストラクション−』
   R・ローティ『ディコンシュトラクションと迂回』
   B・ジョンソン『ジェンダー理論とイェール学派』  
   ポール・ド・マン『生成と系譜−ニーチェ−』
   富山太佳夫『ディコンストラクション使用後』『中間の漂動−スウィフトをテクストにして−』
   室井尚『ゲームの行方−ポスト構造主義と芸術あるいは「表象」からのエクソダス−』
   山崎カヲル『真理の政治−あるマルクス主義−』
   八束はじめ『パレルゴンとしてのフォルム−モダニズム建築のディコンストラクション−』  
   鈴木晶『カーニバルとディコンストラクション−英米の批評におけるバフチン−』

通巻13-10号(1985年09月):ミシェル・セール 500円

   M・セール『風景としての現実』『哲学の役割とはなにか』
   I・プリゴジーヌ『層流と偏向−科学の様式について−』
   J・V・ハラリ『多声の航海日誌−セール宇宙のアウトライン−』
   S・フェルマン『事物の本性、あるいは平衡からの偏差について』  
   Ch・フレモン『ミシェル・セールあるいは発見の術』
   B・アイザック『「難破の底から」−セールとマラルメの「骰子一擲」についての覚え書き』
   D・ベル『セールのゾラ』『人類学・生物学・情報科学を架橋する−「パラジット」−』
   C・ハグレイークック『多様性の科学−「ルクレティウスのテクストにおける物理学の誕生−』
   S・レヴィ『あてなき彷徨−「ヘルメスV北西航路」』  
   今村仁司『エセーの哲学者セール』
   佐々木能章『<一ー多>宇宙の平面図法』
   宇野邦一『多様体のノート−透明と乱流−』
   高山宏『オーヴァーターナー』
   浅田彰『ヴェネツィア・ノート』  
   松浦寿夫『形の源泉』
   鈴木聡『雑音論−para-Serres−』

通巻13-11号(1985年10月):商人−新経済学批判−売切れ

   F・ブローデル『市場経済と資本主義』
   M・シェル『「ヴェニスの商人」における言語の高利』
   J-M・セルヴェ『沈黙交易』
   ショムロー・B『贈与、交換、商業の起源』  
   樺山紘一『ジェノヴァの商人』
   栗本慎一郎『商人の意味論−暗黙知に係わる経済人類学理論体系の一部として−』
   今村仁司『商業観の諸相−商業への嫌悪と恐怖をめぐって−』
   塩沢由典『市場の見える手』
   中堂幸政『<ユダヤ人商人>の困難、あるいは<マッラノ>の歴史』  
   多木浩二『「趣味」の商人−18世紀のキャビネット・メーカー−』
   石井直志『「眼」の遍在、あるいは「光」の商人たち』

通巻13-13号(1985年12月):戦争−宗教とテクノロジーの祝祭− 500円

   P・ヴィリリオ『臨場性の欺瞞』『消滅の美学−または不可視性の戦略−』
   P・ヴィダル=ナケ『黒い狩人−とアーテナイのエペービアの起源−』
   A・エーレンベルク『戦う身体』
   S・アンドレスキ『いたるところの戦い』  
   山崎カヲル『退却について』
   粉川哲夫『資本主義と戦争』
   関曠野『シヴィリアン・コントロールの脅威』
   川本三郎『彼らは戦場へ行った−アメリカ映画とヴェトナム帰り−』
   鈴木聡『ハルマゲドン・ナウ−修辞学としての戦争−』  
   中沢新一『夜の戦い−il combatto noctore−』
   松村一男『戦士の誕生−アイルランド叙事詩の英雄クー・フリンを中心に−』

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