「現代思想(1984年)」 青土社
通巻12-01号(1984年01月):ニューサイエンス−<知>の新しい波− 500円

   J・ウェルウッド『形と空を超えるもの』
   M・ディエゲス『信じることと知ること』
   F・カプラ『健康と自然のタオ』
   D・ロイ『ホログラフィックな心』  
   H・ベンソン『偽薬の効果』
   J・キャンブル『チョムスキーと言語学と情報理論』
   M・セール『永劫回帰』
   F・ホイル/Ch・ウィクラマシンゲ『生命の起源』
   M・マルヤマ『文化的共生をめざして』  
   池見酉次郎『東洋の英知』
   長谷川敏彦『ニューエイジ科学運動の意味』
   竹本忠雄『ニューサイエンスと東洋』
   岩井寛『日本人の時間と空間』
   秋山さと子『仏教とユングとホログラフィと...』  
   小田晋『精神医学における脳と心』
   佐藤敬三『システム-サイバネティクスの成立』
   岸由二『社会生物学の二つの眺め』

通巻12-02号(1984年02月):笑いー何がおかしいの?− 500円

    N・ホランド『笑いの心理学』
   J・クリステヴァ『笑いの記号論−意味Pの消失と伝達の可能性−』
   P・バロルスキー『ミケランジェルのユーモア感覚』
   H・スペンサー『下降性の不一致と笑いの生成』  
   足立和浩『「笑い論」のためのメモランダ1』
   彌永信美『瞬間と瞬間のあいだ』 
   田村俶『道化の笑い−現代性の指標としての−』
   中野収『メディアの笑い』
   池内紀『ヤジ馬・革命・おどけ者について』  
   高山宏『夥しさの図像学』
   鎌田東二『語呂合わせの修辞学−宗教的レトリックの一局面−』
   近藤譲『現代音楽のユーモア』
   四方田犬彦『複数のマルクス』
   安田一郎『笑いの表情』  
   松浦寿輝『口唇論−他者と化するナルシス−』

通巻12-09号(1984年08月):林達夫と現代日本の思想 600円

   五木寛之『「猛烈」なる精神』
   城塚登『ホンモノの思想と思想家−林達夫に即して−』
   由良君美『IN MEMORIAL PROF TATSUO HAYASHI』
   青木保『「知識人」の終り』  
   富山太佳夫『正確さについて』
   川嶋彬『慎重をきわめた戦略家』
   栗本慎一郎『フォークロアのフォークロア』
   種村季弘『方法的ヘルメス−林達夫へのある私小説アプローチ−』
   若桑みどり『ディテールに林達夫は棲む』  
   田村俶『道化のような「自己」の現象』
   宇波彰『林達夫の言語観』
   饗庭孝男『「思想」の肉体性』
   高橋英夫『エッセイ・メチエ・アルケオロジー』
   村上陽一郎『幸せな人』  
   樺山紘一『園芸家の病』
   西部邁『強靱な相対主義者』
   飯沢匡『林先生とラテン文化』
   池内紀『虫の話』
   宇野邦一『ラヴェンダーと鶏による政治学』
   今村仁司『ベンヤミンと林達夫』
   久米博『テクストとしての林達夫』
   丘沢静也『「私は週末を知らない」配達人』
   松枝到『まだ出会わぬ人にむけて』  
   植島啓司『思想のスラップスティック』
   枝川昌雄『ある精神のコンポジション』
   四方田犬彦『映画を拒絶した人』
   内藤俊人『精神のポリフォニー』
   出淵博『ヘルメス神としての批評家』

通巻12-10号(1984年09月):葬式のカタログ 600円

   J・パリー『犠牲の死と再生』
   箱崎総一『ユダヤ人の死と埋葬』
   酒井傅六『古代エジプトにおける葬儀』
   金両基『白の葬送ー韓国の葬礼ー』  
   久米博『復活信仰と祖霊信仰』
   長島信弘『双子は死なず、ただ飛び去るのみ−ケニアのテソ社会における双子の死と双子儀礼−』
   木村秀雄『干し首がほしい−南アメリカ・ヒバロ族の首狩り−』
   福井憲彦『死という鏡に写された歴史−歴史における死への問い−』
   丸山照雄『国家儀礼としての葬礼』  
   本田和子『童女昇天』
   松浦寿輝『映画、死者を欠いた葬礼』
   高山宏『死の資本主義−マガザン・ド・デーユ周辺−』
   川本三郎『未来からやってくる死を夢見て』
   井上章一『霊柩車の誕生』

通巻12-12号(1984年10月):フーコーは語る 500円

   ミシェル・フーコー『空間・知そして権力ーインタヴュー−』
       〃    『ひとつのモラルとしての性』
   ピエール・ブーレーズ『現代音楽と聴衆』
   D・ロンドー『フーコーの生涯』
   R・マジオリ『サルトルとフーコー』  
   A・グリュックスマン『<測量師>フーコー』
   八束はじめ『空間・テクスト・エテロピア』
   高山宏『タブローのかたちをした空間』
   山本哲士『<良き調教>としての教育権力』
   松浦寿夫『通夜と覚醒』  
   佐々木孝次『言語と主体のいる場所』
   山崎カヲル『フーコー・作者・マルクス』
   内田隆三『移動する知』

通巻12-13号(1984年11月):漂泊と交通 500円

   E・ジャベス/Ph・ボワイエ『ノマド的エクリチュール』
   粉川哲夫『遊歩=街路=言語の時代の終りに』
   小松和彦『異人殺しのフォークロア』
   松枝到『水のなかの道祖神』  
   内藤正敏『見せ物−漂泊の旅芸人−』
   宇野邦一『境界についての私の知る二、三のこと』
   小林康夫『漂泊の条件』
   彌永信美『終末の見える沙漠』
   杉山二郎『ユーラシア世界の漂泊彷徨者たち』  
   久米博『イエスの漂泊』
   西谷修『一九三九年−<外>へ!』
   栗本慎一郎/中上健次『爆発させろ、漂泊のパワー』

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