「現代思想(1977年)」 青土社
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通巻05-02号(1977年02月):現象学とはなにかーその可能性の核心− 600円
- A・ギュルヴィッチ『現象学と心理学』
- アルフレッド・シュッツ『よそものの現象学』
- 木田元『現象学とは何か』
- 滝浦静雄『フッサールとヴィトゲンシュタイン』
- 丸山圭三郎『言語の非記号性と意味創造』
- 荻野恒一『精神医学と現象学』
- 宮島喬『フランス社会学と現象学』
- 深谷昭三『シュッツと現象学』
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通巻05-03号(1977年03月):現代経済学の思想−新しい視座を求めてー 500円
- 河野健二『新しいシステムの構想』
- 杉原四郎『主体思想とマルクス主義』
- 末永隆甫『経済学における新しいパラダイム』
- 大内秀明『消費者主義と地域主義』
- 竹内啓『経済学の「科学性」について』
- 友杉孝『貨幣の両犠牲』
- 栗本慎一郎『経済人類学とは何か』
- 武藤光朗『経済成長の人間的限界』
- 矢澤修次郎『社会学と経済学』
- 滝澤正樹『経済学と社会心理学』
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通巻05-07号(1977年06月):ルネサンスの闇と光 500円
- ウォレス・K・ファーガソン『ルネサンスの再解釈』(今井成美訳)
- アーウィン・パノフスキー『芸術家・科学者・天才』(木田元訳)
- ポール・O・クリステラー『アカデミア・プラトニカ』(片山英男訳)
- フランセス・A・イエイツ『ヘルメス・トリスメギストス』(藤田実訳)
- 伊東俊太郎『ルネサンス断想』
- 中山茂『ネオ・プラトニズムと科学史』
- 樺山紘一『死と再生の歴史想念』
- 鈴木博之『ロトンダの裔−精神史としての建築史−』
- 清水純一『フィレンツェ・プラトニスム』
- 藤井治彦『イギリス・ルネサンス論素描』
- 玉泉八洲男『「力ある知」のパラドックス』
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通巻05-08号(1977年07月):プルードンと現代 500円
- ジョージ・リヒトハイム『プルードンとアナーキズムの起源』(今井成美訳)
- 石川三四郎『偉大なプルードン』
- 大沢正道『プルードンは甦るか?』
- 坂本慶一『プルードンの地域主義思想』
- 河野健二/作田啓一/阪上孝『シンポジウム:プルードン主義とはなにか』
- 良知力『プルードン主義者カール・グリューン』
- 原幸雄『偉大なる遠視』
- 宮島喬『プルードンと深層社会学』
- 阪上孝『プルードンの歴史観』
- 川喜多喬『相互主義と産業民主主義』
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通巻05-09号(1977年08月):法とは何か 500円
- 中村雄二郎『法律について−哲学的断章−』
- 長尾龍一『海賊の法哲学』
- 平岡昇『法とその原点をめぐって』
- 石尾芳久『日本における法意識』
- 上山安敏『文化史としての法学エリート』
- 樺山紘一『裁判−聖性と合理性のはざまに−』
- 吉本隆明『法の初源・言葉の初源』
- 野口昌也『「精神疾患」と規範』
- 小田晋『法の深層心理と行動学』
- 栗本慎一郎『魔力・経済倫理・法』
- 川本茂雄『法とことば』
- 蓮實重彦『物語としての法』
- 土屋恵一郎『純粋法学と諸領域の純粋志向』
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通巻05-10号(1977年09月):パスカル 500円
- 野田又夫『パスカル遠望』
- 坂本賢三『科学史におけるパスカル』
- 近藤昭『パスカルとプッサン』
- 村田全『パスカル私記』
- 中村雄二郎/渡辺守章/村上陽一郎『徹底討論:パスカルの世紀』
- 田辺保『この「大きい目」が見つめるもの』
- 竹田篤司『「読者」のパスカル』
- 塩川徹也『パスカルにおける「権威」の問題』
- 広田昌義『新しいパスカル像を求めて』
- 支倉崇晴『パスカル小伝』
- 遠山一行『ひとつの覚書』
- 磯田光一『静かなる煽動の哲学』
- 弥永昌吉『パスカルと数学』
- 森毅『ふぃろぞふぃ・すかとろじぃく』
- 北村太郎『さわやかな屍臭』
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通巻05-11号(1977年10月):貨幣−人間存在の暗部をさぐる− 500円
- カール・ポランニー『メンガーにおける「経済的」の二つの意味』(玉野井芳郎訳解説)
- 高須賀義博『貨幣の必然性−マルクス・宇野・左右田−』
- 酒井傅六『古代エジプト人と貨幣』
- 矢島文夫『神話的表徴としての貨幣』
- 久光重平『貨幣の創造−西洋貨幣の系譜−』
- 柄谷行人『貨幣の形而上学』
- 廣松渉『貨幣論のためのプレリュード』
- 武藤光朗『貨幣−この没個性的なもの−』
- 佐藤信夫『金で買えるという意味』
- 丸山圭三郎『貨幣と言語記号のアナロジー』
- 栗本慎一郎『貨幣のシンボリズム』
- 池内紀『拝金主義の時代』
- 有田忠郎『黄金流離譚』
- 河村錠一郎『狐と木の葉』
- 赤瀬川原平『私はむかしネジ釘を作った』
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- ローレンス・オルソン/吉本隆明『特別インタヴュー:知識人と大衆』
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通巻05-12号(1977年11月):ユダヤ的知性と現代 500円
- 山下肇『ユダヤとドイツのはざまで』
- 荒川幾男『ユダヤ的知性と現代』
- 鈴木道彦『半ユダヤ人における反ユダヤ主義』
- 饗庭孝男『思想の力動性−ベルクソンとヴェイユ−』
- 長尾龍一『シャイロックとケルゼン』
- 池内紀『ウィトゲンシュタインの風土』
- 清水多吉『ホルクハイマーとアドルノ』
- 好村冨士彦『ブロッホとユダヤ人問題』
- 池田浩士『「魔の山」のルカーチ』
- 潮江宏三『シャガールがユダヤ人であるということ』
- 利光功『浸透する視線』
- 高辻知義『ユダヤ人と音楽』
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通巻05-13号(1977年12月):現代日本文学の思想 500円
- 川本三郎『大江健三郎論』
- 佐藤忠男『椎名麟三論』
- 鈴木寿治『三島由紀夫論』
- 篠田浩一郎『吉本隆明論』
- 桶名秀昭『司馬遼太郎−昭和の史論家−』
- 安間隆次『松本清張論』
- 佐藤信夫『井上ひさし論−軽薄言語(学)の魅力−』
- 藤竹暁『野坂昭如論』
- 稲葉三千男『筒井康隆−をダシにした浅近な、つまりいささかも深遠でない饒舌体エセ−』
- 宇波彰『古井由吉論』
- 樺山紘一『深沢七郎そして中上健次』
- 鍋田恭孝『村上龍−解体の世代−』
- 菅野昭正/黒井千次『対話:小説の方法』
- 南博『思い出すこと、思うこと』
- 玉城哲『「三代勘定」ということ』
- 田原総一郎『ハンターの眼』
- 太田省吾『関係の文体』