「ユリイカ」(1985年) 青土社
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通巻17-01号(1985年01月):日本の神話
- (1)湯浅泰雄『三輪山の夢』
- (2)吉田敦彦『日本神話の特色』
- (3)田村克己『鍛冶の神』
- (4)大林太良『日本神話と中国の民話』
- (5)伊藤清司『殺された女と稲作』
- (6)遠藤庄治『記紀神話琉球神話』
- (7)福永光司『「古事記」の「天地開闢」神話』
- (8)荻原真子『エヴェンキ族の創成神話』
- (9)山下欣一『奄美・沖永良部島の創成神話』
- (10)谷川健一『もうひとつの降臨神話 -ニギハヤヒと物部氏-』
- (11)平野仁啓『白鳥伝承』
- (12)荻原千鶴『神を迎える神』
- (13)マセ・フランソワ『垂仁天皇記の構造分析』
- (14)神田典城『出雲国風土記の神話的世界観』
- (15)中本正智『ニライカナイの語源と原義』
- (16)五来重『日本神話における海と山』
- (17)山折哲雄『身を隠す神と葬られる神』
- (18)福田晃『神話の中世 -「毘沙門の本地」をめぐって-』
- (19)依田千百子『朝鮮の巫俗神話と日本の中世神話』
- (20)松前健『神話語りの方式から見た日本と韓国の伝承』
- (21)萩中美枝『神々のユーカラ』
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通巻17-02号(1985年02月):トリュフォー
- (1)フランソワ・トリュフォー『インタヴュー:我が人生、我が映画』(梅本洋一/千葉文夫訳)
- (2)エリック・ロメール『スクリーンの上の人生 -わがヌーヴェル・ヴァーグ-』(梅本洋一訳)
- (3)ポーリン・ケイル『愛のためにすべてを -「アデルの恋の物語」-』(武藤康史訳)
- (4)ヴィム・ヴェンダース『「野性の少年」体験』(畑中佳樹/斉藤英治訳)
- (5)レスリー・キャロン『友、フランソワ・トリュフォー』(川竹英克訳)
- (6)飯島耕一『彼自身の神経』
- (7)清水昶『知的戦略家としてのトリュフォー』
- (8)高橋洋子『フランスから、トリュフォーを偲び』
- (9)池田満寿夫『トリュフォー知らず』
- (10)蜷川幸雄『汗のない激情、透明なすき間』
- (11)長谷川和彦/大森一樹『対話:恥かしながらトリュフォー好きで...』
- (12)池内紀『軽い生きもの -「終電車」論-』
- (13)松浦寿輝『燃えあがる文字、書かれた炎』
- (14)渡辺武信『究極的な問いの周囲の美しい闇』
- (15)蓮實重彦/山田宏一『対話:セーヌ左岸とヌーヴェル・ヴァーグ』
- (16)池澤夏樹『「アメリカの夜」の秘かな愉しみ』
- (17)大林宣彦/梅本洋一『インタヴュー:過ぎてゆく時間の眼差』
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通巻17-03号(1985年03月):科学と芸術
- (1)ミシェル・モントゥルレ『無意識の二つの状態 -浮動的状態と断片的状態-』(鈴木晶訳)
- (2)パウル・ファイヤーベント『生存のための知識』(阿内正弘訳)
- (3)フリッチョフ・カプラ『インタヴュー:アメリカ「新時代」との対話』(長谷川敏彦訳)
- (4)ジョン・バーロウ『宇宙論 -観測者の存在と可能的宇宙の諸相-』(金守孝二訳)
- (5)ジーン・シノダ・ボーレン『共時性とタオ -ユング心理学と東洋哲学の交差-』(定方昭夫訳)
- (6)デヴィッド・A・ロス『ナムジュン・パイクのヴィデオスコープ』(岩佐鉄男訳)
- (7)ソル・ユーリック『情報メディアの存在論 -運命のアルゴリズム-』(上野俊哉訳)
- (8)阿部謹也『SFと古代・中世の宇宙論』
- (9)大橋洋一『冥府の糸巻』
- (10)浜口稔『諸星大二郎 -有機体神話学の楽しみ-』
- (11)庄野進『音楽における近代科学の影』
- (12)木村恒久/八木眞一郎『対談:2001年から2010年宇宙の旅へ -映像テクノロジーと大衆の欲望-』
- (13)八木眞一郎構成『カラー・オフ:映像革命 -SFXの世界-』
- (14)粉川哲夫『ハイイテック社会の<人間> -コンピューターの<手>と<脳>-』
- (15)細川周平『ウォークマン・エフェクト』
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- (16)ヴィクトール・エリセ『インタヴュー:溢出する音と光の原風景 -スペイン映画のささやき-』(蓮實重彦)
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通巻17-05号(1985年05月):無機的な世紀末のためのガイド・ブック
- (1)ジャン・ボードリヤール『人質とテロル -不可能な交換-』(山田登世子訳)
- (2)ルイ・ヴァンサン・トマ『テクノロジーと死のファンタスム』(上野俊哉訳)
- (3)S・ロトリンジェ/F・トイフェル『対話:笑顔でテロリズム』(田崎英明訳)
- (4)レズリー・A・フィドラー『エクスタシー、そして破滅の夢』(浜口稔訳)
- (5)モーリス・ブランショ『ベルリンの壁』(西谷修訳)
- (6)今村仁司『破滅への願望』
- (7)島弘之『自壊の予感』
- (8)気谷誠『陽気なカタストロフィー -鯰絵の図像学-』
- (9)川本三郎『たちむかわない子どもたち』
- (10)富士川義之『無機的な死への衝動 -J・G・バラードとカタストロフィーの風景-』
- (11)小林康夫『不可能な<終末>への断章』
- (12)畑中佳樹『挑発する廃虚 -コンピュータ・ゲームを読む-』
- (13)石田和男『エアブラシの機銃掃射 -ペーター・クラーゼン-』
- (14)木村恒久『インタヴュー:ポスト・モダンの地獄絵』
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通巻17-08号(1985年08月):ユダヤのノマドたち
- (1)ベルナール=アンリ・レヴィ『インタヴュー:ジュダイスムの現在』(西谷修訳)
- (2)エドモン・ジャベス『インタヴュー:書物としての砂漠』(川瀬武夫訳)
- (3)アイザック・バシィビス・シンガー『インタヴュー:ディアスポーラを生きるユダヤ人』(千葉茂隆訳)
- (4)ピエール・ゴルドマン『インタヴュー:脱ユダヤのユダヤ人』(高橋純訳)
- (5)ハロルド・ブルーム『カバラーと批評』(島弘之訳)
- (6)エマニュエル・レヴィナス『ユダヤ教と他者の倫理』(合田正人訳)
- (7)レヴィナス/アラン・フィンケルクロート『対談:虐殺は誰の責任か』(内田樹訳)
- (8)粉川哲夫『情報技術としてのユダヤ主義』
- (9)青野聰『ユダヤ主義と通訳』
- (10)ルティ・ジョスコヴィッツ『あなたは私のことを「ユダヤ人」と呼べるかもしれない。では私はあなたのことを何と呼べばいいのか?』
- (11)合田正人『出口なき脱出の方位 -レヴィナスの「内-存立」論-』
- (12)内田樹『脱出する者ととり残される者』
- (13)中沢新一『エジプト脱出』
- (14)西谷修『作家はいかにして<ユダヤ人>となるのか -オーレリア・シュタイナーとの遭遇-』
- (15)彌永信美『「歴史」の発明』
- (16)丹生谷貴志『幸福なポジティヴィスト』
- (17)石田英敬『ユダヤのシニフィアン -H・メショニックによる言語と歴史の理論-』
- (18)島弘之『ジョーレム以前以後 -ユダヤ神秘主義の"真贋"問題-』
- (19)内田樹『ユダヤ人の世界支配陰謀の<神話> -「シオン長老の議定書」を追う-』
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通巻17-11号(1985年11月):世界の演劇人は語る
- (1)ハイナー・ミュラー「エウロパ・トランジット」(佐伯隆幸訳)
- (2) 〃 「戯曲:ハムレットマシーン」(岩淵達治訳)
- (3)パトリス・シェロー「インタヴュー:イマージュ・音楽・演劇」(梅本洋一)
- (4)フェルナンド・アラバール「インタヴュー:混沌の祭と儀式をめざして」(利光哲夫)
- (5)ジョルジュ・ラヴォーダン「インタヴュー:記憶を捏造するスペクタクル」(西谷修)
- (6)エドワード・オルビー「対話:劇作家の位相 -孤立した人間関係の劇的表現-」(清水邦夫)
- (7)リュー&プーシャン「対話:無垢な"笑い"の通路を拓く」(今村仁司)
- (8)ピーター・ブルック「インタビュー:『マハーバーラタ』あるいは物語の持つ力」(安藤俊次訳)
- (9)ジャン・カルマン「インタヴュー:舞台を思い出で満たし...」(江花輝昭訳)
- (10)佐伯隆幸「『ヨーロッパ劇場』とクライスト」
- (11)梅本洋一「セノグラフィーに向かって」
- (12)永田靖「メタモルフォーゼの劇場」
- (13)岩淵達治「ハイナー・ミュラーと現代ドイツ演劇」
- (14)谷川道子「白鳥の歌・道化・抵抗の美学」
- (15)佐伯隆幸「風景の進駐 -ジョルジュ・ラヴォーダン-」
- (16)松岡和子「男と女についての、女による、人間のための演劇 -キャリル・チャーチル『クラウド9』と解体後の風景-」
- (17)武邑光裕「パフォーマンスの死点 -イースト・ヴィレッジのキャバレー空間-」
- (18)四方田犬彦「オフセット構成:『マハーバーラタ』」