「ユリイカ」(1984年) 青土社
通巻16-04号(1984年04月):写真 -あるいは二十世紀の感受性-

  (1)ロラン・バルト『眼の中をじっと』(沢崎浩平訳)
  (2)ジャン=ルイ・シェフェール『視線と餌食 -アントワーヌ・ウェーバーについて-』(川竹英克訳)
  (3)アーロン・シャーフ『印象派絵画と写真』(管啓次郎訳)
  (4)高梨豊『「風景」の彼方へ』  
  (5)内藤正敏『もう一つのカメラ』
  (6)渡辺兼人『<裏窓>スチュアートカメラマンの幸福それとも不幸福』
  (7)土田ヒロミ『写真の加算法』  
  (8)鈴木志郎康『見えない肉体の追求』
  (9)上野昂志『戦争写真から残酷写真へ』
  (10)松本健一『天皇の写真』  
  (11)南伸坊『飛び道具』
  (12)北山修『暴露写真』
  (13)中村雄二郎/多木浩二『うろつく眼差し -写真からの問い-』  
  (14)飯島耕一『人情的と非人情的 -ブラッサイ、奈良原一高-』
  (15)中野収『無垢の眼は消えさり -ウィージー断章-』
  (16)大島洋『アメリカの顔 時代の肖像 -アベドン論-』  
  (17)ねじめ正一『ライオンよりもブタ -リサ=ライオン論-』
  (18)伊藤俊治『フェティシズムの黄金 -リチャード・マーキン「ベルベット・エデン」-』
  (19)四方田犬彦『人は生涯にいくつの女性性器を見るか』  
  (20)松浦寿夫『スーラ・シュルレアリスト』

通巻16-07号(1984年07月):現代演劇の地平

  (1)ベルナール・ドルト『テクストから芝居へ -「読解」の諸問題-』(安藤俊次訳)
  (2)ウンベルト・エーコ『上演の記号論』(篠原資明訳)
  (3)太田省吾『それがそれであること』
  (4)佐藤信『ヴォイツェック作業場日誌から』  
  (5)林英樹『二十四時間の情事と南洋のおじさん』
  (6)山崎哲『<距り>の自己感覚化』
  (7)蜷川幸雄『演劇=記憶の輻湊する場』  
  (8)佐伯隆幸『危機の演劇・背後・表層』
  (9)渡辺えり子『悲観的雑文』
  (10)北村想『演出について』  
  (11)如月小春『<演劇> -反・複製の砦-』
  (12)大橋宏『<即興>演劇・小宣言'84』
  (13)田之倉稔『ゴルドーニとさかさまの世界』  
  (14)川竹英克『王の劇場 -パリ・オペラ座1875-』
  (15)郡司正勝『現代演劇のかなの歌舞伎』
  (16)梅本洋一『聴くことの愉悦に向かって』  
  (17)大橋洋一『過剰のドラマトゥルギー -メロドラマの現在-』
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  (18)アラン・ジュフロワ『カタストロフとしての芸術 -ブニュエル/出会い/シュルレアリスム-』(岡田隆彦訳)

通巻16-10号(1984年10月):ラヴクラフト -幻想文学の彼方に-

  (1)H・P・ラヴクラフト『アーサー・ジャーミン卿の秘密』(黒瀬隆功訳)
  (2)    〃     『あの人』(片岡しのぶ訳)
  (3)    〃     『名状しがたきもの』(並木二郎訳)
  (4)バートン・L・セント・アーマンド『ニューイングランドのデカダン派』(植松靖夫訳)  
  (5)田中光二『作家と神経症』
  (6)由良君美『時空の溯行(1)』
  (7)那智史郎『ラヴクラフト小説の怪』  
  (8)秋山さと子『ラヴクラフトと元型』
  (9)矢野浩三郎『アマチュア作家ラヴクラフト』
  (10)天野哲夫『呪詛のイマーゴ』  
  (11)荒俣宏/笠井潔『対談:悪夢よりの帰還』
  (12)紀田順一郎『プロビデンスの薄暮 -ラヴクラフト受容小史-』
  (13)宮壁定雄『ささやきから響きへ -ラブクラフト批評史-』  
  (14)深田甫『恐怖の錬金術 -ラヴクラフト存在様式-』
  (15)大橋洋一『最後から二番目の真実 -ラヴクラフトの修辞学-』
  (16)鈴木聡『ラヴクラフトからの影』  
  (17)丹生谷貴志『戸口にあらわれたもの... -ラヴクラフトへの接近の為のノート-』
  (18)朝吹亮二『身体の記憶』
  (19)鎌田東二『幼児性の悪意と声 -ラヴクラフトの偏位-』  
  (20)松井克弘『超自然におけるラヴクラフト』

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