「ユリイカ」(1975年) 青土社
通巻07-04号(1975年05月):日本語 -イメージの論理-

  (1)高史明「日本語と自由」
  (2)ドメニコ・ラガナ「西洋人の日本文」
  (3)戸井田道三「歴史とイメージ」
  (4)郡司正勝「日本語の不可能的可能性」  
  (5)三浦つとむ「日本語は膠着語である」
  (6)福田定良「詩と哲学の言葉」
  (7)松田修「コードの機能」  
  (8)鈴木武樹「音節論議を排す」
  (9)西江雅之/鈴木志郎康「対談:日本語・作法と確認の言語」
  (10)南博「流行語をめぐって」  
  (11)虫明亜呂無「新聞記事をめぐって」
  (12)小室等「ポピュラー・ソングをめぐって」
  (13)原子朗「文学的表現の現在」  
  (14)島田修二「定型詩幻想」

通巻07-05号(1975年06月):亡命者の文学 -二十世紀の黙示録-

  (1)E・M・シオラン『苦渋の三段論法抄』(出口裕弘訳)
  (2)ネリ・ザックス『亡命の詩』(飯吉光夫訳)
  (3)シャルル・ドブジャンスキー『八つのドラマ』(高村智訳)
  (4)木村浩『ソルジェニーツィン -亡命をめぐる私的な覚書-』  
  (5)川端香男里『ウェイドレ -ロシア革命と亡命文学-』
  (6)工藤正広『ロープシン -詩人としての-』
  (7)富士川義之『ナボコフ -遠い北国-亡命作家としての-』  
  (8)大沢正佳『ジョイス -ターラへゆく道-その亡命-』
  (9)岩淵達治『ブレヒト/マン -中庸とディアレクティク-』
  (10)工藤幸雄『ゴンブロヴィッチ -その周辺-』  
  (11)川口喬一『ジョイス -そのエクソダス-』
  (12)利光哲夫『イヨネスコ/ベケット -<新しい演劇>の作家たち-』
  (13)高山鉄男『ル・クレジオ -文明からの逃亡-』  
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  (14)中村雄二郎/高橋康成/渡辺保『共同討議:演劇空間の現在』

通巻07-09号(1975年10月):日本浪漫派とはなにか

  (1)野田又夫『コギト派の人々』
  (2)富士正晴『伊東静雄と日本浪漫派』
  (3)竹内良知『小林秀雄と保田與重郎』
  (4)いいだもも『生き残った日本浪漫派』  
  (5)佐藤忠男『差別としての美』
  (6)岡井隆『朔太郎と茂吉の場合』
  (7)野島秀勝『三島由紀夫と蓮田善明』  
  (8)橋川文三/川村二郎『対談:保田與重郎をどうとらえるか』
  (9)杉浦明平『日本浪漫派について』
  (10)奈良本辰也『生の美学』  
  (11)鈴木清順『映画における日本浪漫派』
  (12)杉本秀太郎『伊東静雄の地図』
  (13)大久保典夫『保田與重郎と日本浪漫派』  
  (14)渡辺広士『私は保田與重郎を勧めない』
  (15)饗庭孝男『太宰治と「日本浪漫派」』
  (16)松本道介『日本浪漫派のイロニー』  
  (17)本村敏雄『伊東静雄と保田與重郎』
  (18)藤井貞和『折口・保田・伊東静雄』
  (19)岡庭昇『モダニズムとしての土着』  
  (20)菅孝行『便乗的冒険者の末路』
  (21)『資料:「日本浪漫派」/総目次参考文献案内』

通巻07-11号(1975年12月):坂口安吾 -道化と破壊の神-

  (1)大井廣介「安吾純情録」
  (2)佐々木基一「豪快と稚気」
  (3)奥野健男「暗鬱な青春のたたかい」
  (4)佐藤忠男「坂口安吾論」  
  (5)野島秀勝「風と答えて消えなましものを」
  (6)田中美代子「『青春』の死について」
  (7)川本三郎「坂口安吾の『饒舌』」  
  (8)秋山俊/磯田光一「坂口安吾の精神」
  (9)岡部昭「安吾再読」
  (10)石堂淑郎「安吾のせつなさ」  
  (11)津島佑子「花のなかの影」
  (12)中上健次「空翔るアホウドリ」
  (13)出口裕弘「ふりかえる魔物」  
  (14)内村剛介「血が要るがいのちは必要でない」
  (15)鈴木志郎康「安吾の三つの小説を辿ってみる」
  (16)久保田芳太郎「安吾における道化について」  
  (17)八木敏雄「安吾とポー」
  (18)松田修「母胎への旅 -狂気と酩酊」

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