『季刊ルプレゼンタシオン』 筑摩書房
第1号:なぜ、いま<表象>か

  (1)中沢新一「すばらしい日本捕鯨」
  (2)ジル・ドゥルーズ「哲学とは何か -概念の創造のために-」(石田英敬訳)
  (3)   〃    「映画はコミュニケーションとはいかなる関係ももたない」(鈴木啓二訳)
  (3)討論「なぜ、いま<表象>か」(高橋康也/渡辺守章/蓮實重彦)
  (4)小林康夫「大地論序論1:大地から/への転回」
  (5)山田登世子「衣裳のディスクール」
  (6)岩佐鉄男「黒山の出来事」
  (7)杉橋陽一「ある音楽学者の肖像 -カール・ダールハウス論-」
  (8)高辻知義「『トリスタン』事始」
  (9)森安達也「表象の変遷 -キリスト経典礼を題材として-」
  (10)沼野充義「煽動の図象学 -革命後ソ連のポスターに関する覚書-」
  (11)鈴木了二「三つの空隙モデル -建築- 都市」
  (12)西谷修「西欧の亡霊たち -ハイデガー論争の向う側-」
  (13)今泉文子「『脱構築』をめぐるドイツ的ディスクルス」
  (14)蓮實重彦「スクリューボールまたは禁止と奨励 -ハリウッド30年代のロマンチック・コメディ-」
  (15)刈間文俊「中国映画レポート:陳凱歌の『私のなかの中国』」
  (16)松浦寿輝「表象と倒錯 -テティエンヌ=ジュール・マレー1」
  (17)渡辺守章「Zeami ou le souci du langage」
  (18)ロラン・バルト「Pour la liberation d'une pensee pluraliste」

第2号:<表象>の舞台

  (1)ジャック・デリダ「私はまだ生まれていない -デリダ、デリダを語る-」(鈴木啓二訳)
  (2)ミシェル・セール「第三教養人」(石井洋二郎訳)
  (3)高橋源一郎「『善人』アロンソ・キハーノの遺言」
  (4)坂東玉三郎「もう一本撮りたくなって」
  (5)蓮實重彦「空と恍惚 -ジョン・フォード論-」
  (6)刈間文俊「呉文光の『放浪の北京 -最後の夢想者たち-」
  (7)渡辺守章「マラルメ、ワーグナー、クローデル -革命と終末の廃虚に-」
  (8)野村武司「金岡(を演じる)」
  (9)松岡心平「世阿弥の実験劇場」
  (10)池田信雄「時と色の幻視者 -フィリップ・オットー・ルンゲの美術理念-」
  (11)桑野隆「<約束事>の終焉 -ロシア・アヴァンギャルドの両義牲-」
  (12)佐藤良明「ポップ・マインドと文化の変貌」
  (13)安斎重男「伝説の現場 -1970上野・竹橋・京都-」
  (14)山口紫織「稀薄化されたウェヌス -サイ・トゥオンブリ、絵とデッサンをめぐって-」
  (15)対談「文芸時評のアルケオロジー」(高橋源一郎/リービ英雄/渡部直己/蓮實重彦)
  (16)沼野充義「二つのマニフェスト」
  (17)工藤庸子「記憶の小説、小説の記憶」
  (18)小林康夫「大地の依託と詩の出来事 -大地論序説2-」
  (19)西谷修「西欧的歴史の臨界」
  (20)松浦寿輝「言語と言語ならざるもの -エティエンヌ・ジュール・マレー2-」
  (21)服部ゆきお「Le dieu du ushirodo」
  (22)ミシェル・フーコー「Revenir a l'Histoire」

第3号:狂気・身体・表象

  (1)ミシェル・フーコー「心理学の歴史1850-1950」(石田英敬訳)
  (2)荒川修作/小林康夫「対談:春についての対話」
  (3)高橋康也「表象の宴はいま... -『テンペスト』から『プロスペローの本』へ-」
  (4)渡辺守章「マラルメ『エロディアードの婚姻』 -プログラム」
  (5)石田英敬「襞にそって襞を...pli selon pli -詩学のモナドロジー序説-」
  (6)小林康夫「ポプラの樹とパンの身 -パウル・ツェランの<大地>大地論序論3-」
  (7)古井由吉/松浦寿輝「対談:『私』と『言語』の間で」
  (8)石光泰夫「言葉なきものの原光景」
  (9)富島美子「やわらかな下水道」
  (10)高田康成「噂の女神の肉体性」
  (11)スラヴォイ・ジジェク「The King is a thing」
  (12)     〃    「王はものである」(浜名恵美訳)
  (13)蓮實重彦「映画の共和国へ」
  (14)高橋和久「書評:別の地図 -『フェイ・ウェルドン』『さくらんぼの性は』-」
  (15)杉浦勉「書評:不在をめぐる変奏 -『迷宮の将軍』『たたかい』-」
  (16)ブルーノ・タウト「大地はよい住まい」(田中純訳)
  (17)田中純「建築という祝祭 -<幻想建築家>ブルーノ・タウト-」
  (18)蓮實重彦「周到さからもれてくるもの -ヒッチコック『めまい』の一シーンの分析-』
  (19)北野武「インタヴュー:こんどは意外に真剣にやるかもわかんねえな」
  (20)ジャン=フランソワ・リオタール「La terre n'a pas de chemins par elle-mere」

第4号:慎しみ、ポルノグラフィックに

  (1)金井美恵子「水の色」
  (2)ビクトル・エリセ「特別会見『ベラスケスの鏡』から『マルメロの陽光』へ』」(蓮實重彦)
  (3)ジャック・デリダ「インタヴュー:哲学にとってはまもるべき謹み深さというものはない」(小林康夫)
  (4)丹生谷貴志「侵犯と発明 -退屈さのエクササイズ-」
  (5)高橋康成「猥褻なるオフィーリア」
  (6)多田智満子、鈴木杜幾子「討議:文化とセクシュアリテ -裸体をめぐって-」
  (7)中野美代子「ぶらんこのシンボリズム -ポルノグラフィーと中国庭園-」
  (8)鈴村和成「写真の消失点 -あるいはポルノグラフィーの黒い神-」
  (9)内藤篤「まだ死ねずにいる猥褻裁判のために -アート・権力・刑事司法-」
  (10)松浦理英子、松浦寿輝「性器なきポルノグラフィー」
  (11)アンリ・メショニック「『ポルノグラフィックなもの』の身振り」(石田英敬聞き手)
  (12)蓮實重彦「『黒さ』の誘惑 -リタ・ヘイワースの曖昧さはいかにして『フィルム・ノワール」を擁護したか-」
  (13)ステファヌ・マラルメ「『エロディアード舞台』」(渡辺守章訳)
  (14)渡辺守章「『エロディアード』の主題による変奏」
  (15)安岡治子「『道標』とロシアの現在」
  (16)岩佐鉄男「家族の肖像 -音楽以前のケージ-」
  (17)松浦寿輝「映画装置の勝利と敗北 -エティエンヌ=ジュール・マレー4-」
  (18)三宅一生、小林康夫「いま、肉体は時間の表情を纏う」
  (19)三宅一生「インタヴュー:われわれは、わくわくさせる何かを持たなくちゃいけないと思うんです」
  (20)蓮實重彦「Oze Yasujiro ou l'escalier invisible」(ジャック・レヴィ訳)

第5号:政治と批判

  (1)ミシェル・フーコー「啓蒙とは何か」(石田英敬訳)
  (2)浅田彰、大澤真幸、松浦寿輝「討議:ポリティクスの新しい地平 -プロジェクションからコミュニケーションへ-」
  (3)松浦寿輝「喪の裳 -折口信夫論-」
  (4)中井久夫「治療の政治学」
  (5)蓮實重彦「『魂』の唯物論的な擁護にむけて -ソシュールの記号概念をめぐって-」
  (6)小林康夫「転回、空中にて -大地論序説4-」
  (7)守中高明「自然・表徴・悲劇 -ヘリダーリンによる非-神学としての詩学-」
  (8)石光泰夫「死体論 -ニーチェからレムまで-」
  (9)石井康史「道化の言説と生存の政治学 -ミドル・ヴォイス・ディスコースの理論化にむけて-」
  (10)桑野隆「革命と芸術 -トロツキイの場合-」
  (11)蓮實重彦、中沢新一「対談:二十一世紀へ向けての唯物論の組織化」
  (12)杉橋陽一「書評:カール・シュミットの<帰郷> -ヤーコブ・タウベスのロマ書読解をめぐって-」
  (13)入沢康夫「詩に未来はあるか」
  (14)渡辺守章「ハイナー・ミュラーあるいはテクスト・ゲーム -『四重奏』のための四楽章-」
  (15)ジャン=リュック・ゴダール「1992年、12月2日、とある水曜日のこと」(松浦寿輝訳)
  (16)松浦寿輝「La cloture du regard」(ジャック・レヴィ訳)
  (17)小林康夫「Contournant la montagne aux pechers」(パトリック・デュ・ヴォス訳)
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